【来訪編】

傍観者ではいられない
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第ニ話:異文化に触れる(1)

 

 次に目を覚ましたときには窓の外は暗く、昼間に輝いていた海は全く見えなかった。

 部屋の中もほぼ真っ暗で、明かりはオレを起こしたらしいメイドの持つランプのみ。

 寝起きに目の前に女性。しかも真夜中。状況が分からず思わず固まっていると、彼女は何か呟いてベッドから離れた。

 正直言って、オレの寝起きはよくない。

 オレは覚えていないので聞いた話だが、一度にある程度の睡眠を取らないと、無理やり起こしたとき物凄く機嫌が悪いらしい。メイドの表情は特に変わった様子のない無表情。彼女は扉の近くの壁際の何かに触れる。

 するとぱっと部屋の中が明るくなった。

 中世のようだと認識していたオレは驚いて天井を見上げる。シャンゼリアが煌々と輝いている。

 そもそもシャンゼリアの明かりのつけ方を知らないのでなんとも言えないが、今のつき方はどこか電気に通じるものがある。

 火の明るさに近いが、火のように不安定でないその明かり。

 聞いてみたいが言葉が通じないのはすでに分かっている。

 知りたいのに知れないフラストレーションに、ただひたすらあれやこれやと推測するしかないまま、身を起こし冷たい床に足を置く。

 するとメイドがどこからか靴を持ってきた。スリッパよりどちらかというとルームシューズに近い。生地が薄いらしく、床の温度はほとんど変わらず足の裏に伝わってきた。


 オレが立ち上がるのを同じくして、開けられたままの扉から、ガラガラという音とともになにやらいい匂いがにおってきた。

 ワゴンに乗せられた料理だ。

 さらにメイドが増えて、テーブルや椅子が部屋の空いている場所に置かれる。テーブルは一卓。椅子はニ脚。

「二脚?」

 向かい合う形で置かれた椅子。その片方のテーブル上に料理が並べられる。片方にはソーサーとカップとクッキーの入ったお菓子皿。クッキーにはレーズンや木の実のようなものが混ぜられているようで、香ばしい匂いが届く。

! 先ほどぶりだな!!」

 ちょうど全ての準備が終わったのか、ワゴンを押してメイドたちが引き上げて行ったのとすれ違うように、駆け足で入ってきたのはトロデだ。

「トロデ、これは……」

 言いかけたオレの言葉を遮るように、トロデが眉を寄せて声を上げた。

「む、。まだ着替えてなかったのか? まさか寝巻きで食事をするつもりか?」

 それに答えたのはオレの世話係らしいメイドだ。

「恐れながら王子殿下、様はさきほど起きられたばかりです。もしや、何か別にも用事がございましたか?」

「ああ用事ができた。私としてはゆっくり親睦を深めたいところだが、そうも言ってられん。父上が時間を取ってくれるそうだ」

 トロデについで入ってきたのはメイド一人と男二人。男二人は帯剣して鎧を着て、肩には床につくかつかないほどのマントを羽織っている。見たところトロデの護衛の兵士だろうか。

「まあ、今からですか?」

「いや、もう少し後だ。と言ってもすぐとは変わらないが。簡易とはいえ準備もあろう。には先に夕食を食べてもらう」

「湯浴みの時間を考えますとほぼ真夜中になりますが」

「父上が構わないと言ったから構わぬのだ。さあ! 食事をしろ! 長く寝ては腹が減ってよう!」

 何か話していたかと思うと、トロデがオレに何か言う。するとトロデ付きのメイドが椅子を引く。それに当たり前のようにトロデは椅子に飛び乗る。

 さらにオレの部屋についているメイドが今度は料理の並ぶテーブルの椅子を引いてこちらを見る。

様、どうぞ」

 名前を呼ばれた。どうやら名前は覚えていてくれたらしい。

 彼女の行動の意図は分かるが、どうも馴染まない奉仕のため、微妙にぎくしゃくして椅子に座ることになった。

 料理は、オレの体調を考えてくれているのか、見た目からして柔らかそうなものが多く、味付けもまた胃に優しい薄めのものだった。

 自分で思った以上にお腹がすいていたのか、それをぺろりと平らげてしまった。

 満腹感でいっぱいだったが、それはすぐに後悔することになる。


 手伝おうとしたメイドをなんとか追い出して用意された風呂でさっぱりしたあと、用意されていた服に思わずうめき声が漏れた。

 それはさっきまで着ていたゆったりめの服とは明らかに違う。

 一枚目の上の服はさっきの服と似ている。長袖で腰より下まであるほどのシルクの白い服。ただし袖には金色の糸で刺繍がしてあり細かい模様のレースのフリルがついてる。正直これは勘弁してくれ。オレは思わず唸った。唸っても用意してもらっているものなので、渋々着た。着たけど、これは絶対鏡を見たくない。

 その上に羽織ったのは、袖なし前開きの分厚いガウンのようなもの。色は薄めだが柄が大きく派手な模様だ。長さは膝まであって、腰周りをベルトで止める。下に穿くのはゆったりめのズボン。……正直タイツでなくてよかった。本当によかった。タイツでないならフリルぐらい我慢できる。

 そして靴はブーツ。膝下までの長い暗めの色のレザーブーツだ。ヒモもベルトもついていないいたってシンプルなデザインだが、女性の好むブーツのように靴の先が尖っている。足指の両端が痛いが、トロデもこれだったし他の人も同じ型なのを見ると、これがここでは当たり前なのだろう。我慢することにした。


 そんな明らかにどこかに出掛ける服装で、廊下に出た。

 同行しているのはオレの世話を任されたメイドとトロデの護衛のはずの二人の男だ。

 そんな二人に左右を固められている。まるで両手を抱えられた宇宙人の気持ちで、等間隔に明かりが灯されている暗い廊下を歩く。

 トロデはオレの傍にはいない。自分の部屋に戻ったんだろうか。というかこの二人を残して護衛は大丈夫だったのだろうか。

 よく分からないが、分からないだけにオレを囲む雰囲気に緊張する。正直胃が痛いほどだ。さっきお腹いっぱい食べたものが胃の中で暴れまわり吐き気に変わる。こんなことならいっそ何も食べないほうがマシだったんじゃないだろうか。

 夜のせいか廊下は静かで、オレたちの足音のみが響いて、それが余計に緊張を煽る。

 いくつか角を曲がり、階段を下りてさらに廊下を進み、たどり着いたのは屋外。

 初めて感じる外の空気は静けさを持っていて、頬を夜風が撫でる。夜空には満天の星空。いくらか欠けた月の柔らかな明かりが地上に降り注ぎ、その光でここが広い庭園だということに気付いた。

殿、どうか陛下に失礼のないように」

 辺りを見回していたオレに隣の兵士が低い声で何かを言った。びくりとして恐る恐る男を見る。口ひげと顎ひげはきちんと整えられているが、月明かりがあるとはいえ暗い中見ると、そのがたいも合わさって凄みが利いていてとにかく怖い。なんだ、今のは執行宣言か?

 トロデ、どこ行ったんだよ! 思わず心の中で助けを求める。しかし応えてくれる相手は現れなかった。


 それもそのはず。

 トロデはすぐ傍の扉の向こう側にいたのだから。




「兵士団長ラグス、兵士副団長ナレイ、客人。御前に参上いたしました」

 凄みの兵士についていく形でその部屋に入って、彼の真似をして床に膝をつく。

 今やオレの心臓は破裂するんじゃないかと言わんばかりにドクドクと鼓動していた。

 ここがどういう場所かなんて、言われずとも分かる。

 昼のように明るく照らされ、なお明々と燃える灯りの置かれたこの部屋は、バスケコート四面分ほどの広さを持っていた。

「表をあげよ」

 低く、少ししゃがれた声が広間に響く。兵士たちが頭を上げる気配がした。おずおずとオレもそれに倣って頭を上げる。

 床には扉から声の方向まで幅の広い一筋の深紅の絨毯がひかれ、先の高段には玉座が二つ置かれている。玉座の片方にはトロデが座っていた。その頭に小さな冠を被って。

 トロデ……?

 思わず口の中だけで呟く。

 トロデの隣、トロデによく似た、だけどトロデよりも幾分背の高い初老の男は、ことのほかオレを凝視しているように思える。

 男の頭には大きく宝石の華やかな冠、まさに王冠と言えるものが輝いていた。

 まさか、トロデは王子だったのか? 隣にいるのは王様なのか!?

 オレの内心の動揺はかなり激しい。オレは王子を呼び捨てしていたのか。だからあの目を覚めたときに敵視してきた男が怒っていたのか。



 オレの言葉が通じないためか、兵士二人と王様が何か話している。オレはこの場に呼ばれたのがどういう理由か測りかねて気が気じゃなかった。何か糾弾のために呼ばれたんじゃないのか、不敬罪とかで捕まるんじゃないのか。

 オレの不安は、だけど幸い的中しなかったようで、じっとしている間にその意思不疎通の拷問は終わった。

 どうやって部屋に戻ったかは分からない。気付いたら服も着替えていて、オレは備え付けのソファにその身を沈めた。




 なんだかトロデをすごく遠く感じた。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 次の日朝早く、オレの沈んだ気持ちなんて知りもしないトロデが一枚の紙を持ってきた。傍らにいるのは昨日もオレを診てくれた医師だろう人だ。

 すでに何日も眠り込んで、昨日も昼間から寝ていたせいか起きたのは日の出前だったので、朝早くではあったがオレはすでに起きて、昨日の服に似た服に着替えていた。

 トロデは、手に持ち振りかざしていた紙をオレにばっと見せる。

 ぱっと見羊皮紙のような滑らかな紙には、やっぱり見たことのない記号のような文字が並んでいる。右下には、勢いのいいサインと蝋で捺された印がある。本物の蝋印なんてはじめて見た。

 トロデはその紙をくるくると丸めて鮮やかな色の紐でくくる。

「これはの身分証明書だ。父上に頼んで発行してもらったから、絶対なくしてはいかんぞ。は今日から我が国トロデーンの国民だからな」

 何やらオレに言い聞かせるように言って、部屋の小ダンスに丁寧にしまいこんだ。

 詳しくは分からないが、トロデの動作から見て何かとても大事な書類らしい。



 そしてオレの体調を診た医師が何やらトロデに向かって言いながら頷くと、トロデは嬉々としてオレの手を引っ張り、部屋の外に連れ出した。

 オレンジ色のタイルの敷き詰められた廊下を歩く。装飾の施された木の扉を開けた先は吹き抜けのある通路になっていて、その吹き抜けから見下ろせる下の階が、昨日見た玉座だった。

 ただし、昨日とは違ってその椅子にはどちらも誰も座っていない。昨日座っていた一人は今、隣にいる。

「トロデ……」

「ん? どうした」

 トロデの頭の上には、この玉座の間で見たときも今も、ずっと小さな冠がある。視線を玉座に戻すと、トロデが納得したような声を出した。 

「ああ、玉座が気になるのか。本来は私の座っている席には母上が座るものなのだが、母上はもういなくてな。あちらが父上で、こちらが私の席だ。日の光のもと見るとなかなか立派だろう」

 彼が何を言っているのかは分からないが、毅然とした態度が、胸を張っている姿が王子であることに誇りを持っているのが伝わってくる。

「トロデ……」

「うん?」

「トロデって王子様なんだな」

「何を言っているかは分からないが……。ああそういえば、昨日は驚かせたようだな。謁見をし、を見ないことには国民にするべきかどうか判断できないと言われたんだ」

 彼は王族だ。王子と言われると外国が思い浮かんでイメージし辛いが、自分の国の天皇家を思い浮かべばいい。皇太子本人に向かって名前呼び捨てなんて、とんでもないことがよく分かる。

「トロデ……おうじ」

「またお前は! トロデだ!」

「トロデおうじ」

「トロデ!」

 ああ、怒っている。トロデと呼べと言っているのだろう。でもトロデは王子なのだ。オレが敬称なしで呼べるはずはない。

「トロデだ!」

 癇癪をおこしたように、トロデが喚いた。彼の目は怒りに染まり、不愉快だと言わんばかりだ。

「トロ……」

 ……待てよ。

 そこでオレはある思惑に言葉をとぎる。

 今ここでトロデの不興を買うのはまずいんじゃないだろうか?

 トロデと一緒にいた男の様子やメイドの怪訝な目を見ると、オレは歓迎されているわけじゃない。歓迎しているのはトロデただ一人だ。今のところは。

 昨日からここに来るまでの中で、オレは居心地がずっと悪かった。初対面だからという理由だけじゃない。

 トロデ以外の笑顔を見たことがあったか。メイドの人たちも、風呂や食事の準備をてきぱきとしてくれたけれど、決してオレと目を合わせようとしてくれなかったじゃないか。

 オレのそばにいてくれたメイドでさえ、その態度は仕事をしているだけだと主張しているようなそっけないものだ。

 もしかして、オレが最上級の扱いを受けているのはトロデの身分が関係しているんじゃないだろうか。

 そもそも、どこの誰かも分からず言葉も通じないオレを拾って何の得があるというんだ。それは昨日からの懸念。

 それがトロデが関係すると考えると自然に思える。

 おそらくトロデが自分の身分を使ってオレをここに置いてくれているのだろう。

 それならば、トロデのご機嫌は取っておかないといけないのではないだろうか。たとえば敬称なしで呼ぶことで他のみんなの不興を買ってでも、現状が分からない今、オレが頼れるのはトロデだけなんだから。


「……トロデ」

 それは打算的な思考。

 トロデを味方につけておくのは、今のオレには必要なことだ。

 だけど。

「よし、やっと分かったか!」

 トロデが嬉しそうに顔を綻ばす。それは昨日も見た歓迎の笑顔。言葉が分からなくても分かるほどはっきりとした満面の笑み。

 それに胸が熱くなった。

 オレが離れることを、どこか喜ぶ父の顔を思い出した。トロデのこの笑顔は、父とは真逆の、受け入れるための笑顔だ。名前をただ呼んだだけでこんなにも喜んでくれる。

「トロデ……」

 打算的に働いてしまったことに少し胸が痛んだ。

 そうだ。トロデだけではあるが、オレがここにいることを歓迎してくれている。

「トロデ……ありがとうございます」

 知らない土地、知らない国。そんな場所で一番最初に見つけてくれたのがトロデで良かった。初対面のオレを受け入れてくれた。居場所を与えてくれた。

 言葉が通じないのは分かっていた。だけどどうしてもそれを伝えたくて、オレは心を込めて礼を言った。




◆◇◆◇◆◇◆◇



 その後も、トロデは城の中を案内してくれた。

 もちろん言葉は通じないから、見て分かる範囲でどういう用途の部屋か推測しなければいけなかったが、見て分からないものはあまりなかった。

 いや、分かりはしたが、現在日本に生きていたオレにとっては馴染みの薄いものばかりだった。オレの寝起きさせてもらっている部屋も、中世の欧州の貴族が使っていそうな家具ばかりだったが、それ以上に台所や兵士の詰め所らしき部屋を見て、時代錯誤を覚えた。

 まず、どうやら電気が通っていない。明かりは全て蝋燭などの生身の炎だ。ということは、オレの部屋の照明の仕組みを見るところ、あの部屋はかなり上等な客室なんだろうか。

 あの照明の仕組みは分からないが、例えば歴史ある建物の雰囲気を残すためにかまどを使っている家も、電球の明かりはあるようだし、電化製品も置いている。しかしここにはそれがない。オレの見慣れた便利なものが何一つない。

 日本ではない別の場所に来ただろうことは、トロデに会った時点で想像できていたはずだった。だけど身の回りの全てがオレにとって馴染みにないものだという事実に、迷子のような心細い気持ちをいだいたということは、きっとオレは実感を持てなかっただけなのだろう。

 日本ではない。それどころかおそらく地球ですらない。オレの存在を知らない世界であり、共通点はありながらもオレにとっても知らない世界。今まで積み重ねてきたものに意味はなく、今からのオレの積み重ねがものを言う――。

 ――オレが、ゼロから始められる世界。


 てけてけと変わらぬ速度で先を進むトロデに手を引かれながら、オレは不安と共に歓喜を覚えていた。








2010/05/22




第ニ話:異文化に触れる(2)

 

 この世界でオレが生きて行くには、多くのことを知らなくてはいけない。

 言語ですら違うのだ。習慣だって違うだろう。出来るだけ早くたくさんのことを知る必要がある。

 オレはある種、新鮮な気持ちで廊下を見回していた。トロデが先にずんずん進むから、手を引っ張られているオレはあまりゆっくりとは見れないが、見覚えのあるものさえ、オレには新しいものに見える。

 城の雰囲気で予想していたが、やはり兵士の詰め所も中世の再現かと思えた。ようするに槍や剣や円状の盾ばかりなのだ。銃がない。いや、銃は中世頃に出てきたはずだから時代的にはもっと前だろうか。

 槍や剣以外には斧やブーメランがあった。斧はともかくブーメランって。兵士がブーメランを使うのか? 弓もあるから弓でいいんじゃないだろうか? 何でブーメラン?

 疑問は尽きなかったが、トロデはさっさと説明して、オレの手を引いて部屋を出た。ブーメランは問題ないらしい。


 厨房はさすが城だけあって、学校の教室を二つほどくっつけたような広さだった。真っ白なエプロンと縦長の料理帽を被った何人ものシェフらしき人が忙しそうに料理を作っている。その合間を縫って、トロデがオレを奥まで連れていく。

 火元は予想通りかまどらしい。どちらかというと昔の日本の土間にあるようなかまどに近い。石で出来た立体長方形の下部に穴を開けて中に空洞をつくり、そこから火を調整するための薪を入れたり、灰を掻き出したりするようだ。かまどの上面には円状の穴があり、シェフたちはそこに鍋やフライパンを置いて調理している。

 また壁にもいくつか薪オーブンの蓋がある。そこも稼動しているらしく、香ばしいパンの匂いがする。

 かまどの横のシンクのようなところには水を溜めていて、そこで見習いらしき青年が皿を洗っている。

 そのさらに横には水が満たされた樽があった。樽の蓋の上にはひしゃくのようなものが置かれていて、トロデがその樽の水を汲んで飲んで見せた。飲み水なのだろう。オレも飲ませてもらったが、なぜかよく冷えていて、とても美味しい。

「冷たくて美味しいだろう? 城の研究者が古代書を元に、ヒャドの魔法を魔珠(またま)に込めた冷蔵石なるものを編み出してな。その石を樽の底に沈めているのだ」

 トロデが水の底を指差しながら何か説明してくれた。樽の底には何かの石がある。まさかあれで冷やしているとか言うのだろうか。


 そんな感じで通じないながらも身振り手ぶりを加えたトロデの話を聞いていたとき、料理の香ばしい匂いのせいかオレの腹時計が空腹を訴えた。油のはねる音や指示の声が騒がしいその中にもかかわらず、トロデはそれを聞き逃さなかったらしい。

 隣の食堂に通されたあと、あれよあれよと言う間に真っ白なテーブルクロスの上に料理が運ばれる。細かく切られた野菜たっぷりのスープとやわらかで甘いフレンチトーストは食べやすい上に味も絶妙で美味しかった。朝より多い量だったが、完食してしまった。

「うむ、だいぶ食べられるようになったな」

 何か嬉しそうに呟いたトロデは、最後の一切れを口にしてナプキンで口元を拭く。料理の内容は少し違ったが、一連のマナーの流れをマネしてみていたオレが違和感を覚えないほど、マナーに違いはないようだ。

 まあ、そこまでマナーに明るくないから、なんとなくでしかないけれど。

「では。休憩したところで次は外を案内しようか」

 食後の紅茶を飲み終えると、トロデは立ち上がりまたオレの手を引っ張った。午前中あれほど動き回ったのにトロデは元気だ。子どもらしいといえば子どもらしいか。


 ところで、今日はずっとトロデはオレの手を引いてくれている。

 身長差が大きいのでオレはかがんでいるのだが、そうまでしてなぜ、こうやって手を繋いでくれているのか最初は分からなかったんだけど、どうやら原因はオレにあるようだった。

 もとより方向音痴ではあったオレだが、それがこの世界に来て悪化しているみたいなのだ。

 思えば昨日、風呂に行くときからおかしかった。

 右に行こうとして左に行ったりするのはまだマシなほう。メイドの後を付いて行っているつもりがいつの間にか後ろ向いていたりとおかしなことが続いた。何度か呼び止められ、そのときから手を引いてもらっていたんだけど、その時は廊下が暗いせいともとからの方向音痴のせいかと思っていた。

 だけど今日になり、トロデに手を引かれながら歩いていたこれまでで、暗さや方向音痴だけが原因ではないと気付いた。

 東西南北は分かる。左右も分かる。だけど思い通りの方向に行こうとして別の方向に行ってしまう。自分では正しい方向に行くことが出来ていると思い込んでいるので、指摘されるまで気づかない。

 ここが違う世界だからその副作用かもしれないが、それは憶測の域を出ない。


 そんなわけで、オレとトロデは今も仲良く手を繋いでいる。この年にして子どもに手を引いてもらわないといけないなんていうのは、さすがに情けなさ過ぎるという思いがあるが、ただでさえ広いこの城なのだ。そんなことも言ってられない。

 廊下で時々すれ違うメイドさんや兵士の人がトロデに挨拶するたび繋いだ手を凝視、あるいはチラ見されるのを感じながら、『小さな子どもが大人を連れまわすほのぼのとした図』に見えたらいいなと思っている。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 午後一番は昨日謁見した玉座の間に玉座の後ろから入ることになった。入るまでは気付かなかった。手を引っ張られ入った部屋が昨日あれだけ緊張して入室した部屋だなんてどうして想像できるだろうか。

 なんたって当のトロデがまるで家の居間を横切るかのように入って行ったから、中を見てびっくりだ。

 玉座の間は、昨日の重々しい雰囲気が嘘のようにがらんとしていて、おかげですぐに平常心に戻ることができた。

 来賓がいないからか王様はいなかったが、代わりに昨日の昼間にトロデと一緒にいた男がいた。

「あ! 王子、このような場所に一般人をやすやすと通すなどおやめください。曲がりなりにも玉座の間ですぞ!」

「ここから外に出るのが近道なのだ。少しくらい良いではないか」

「王子! いつも申しておりますが、この部屋は通路ではありませんぞ!!」

「固いことを言うな。ではな大臣」

「王子!」

 男はトロデに対して怒り口調だったが、トロデは全く気にする様子なく先の扉に走っていく。手を繋いでいる以上オレも運命共同体だ。

 あれ、もしかしてトロデ。玉座の間を突っ切っただけなのか?

 ……そりゃあの人も怒るんじゃないかな。



 扉を出ると外だった。

 明るい中その場所を見たのは初めてだった。オレは思わずその光景に声を失った。

 出てきた扉に続く大きな道の左右はシンメトリーの鮮やかな庭園になっていて、綺麗に伐り整えられた草木や色とりどりの花で溢れている。鼻に香る緑や花の匂い。圧倒的な広さの庭園は見たことがない。きれいだと素直に思う。

 オレの気持ちが伝わったのか、トロデが嬉しそうに笑みを深める。

「美しいだろう? 優秀な庭師が我が国にいるのだ。私の自慢の庭園だ」

 いやみのない自慢げな声だった。


「さあ庭園の向こう側に兵士たちの訓練所がある。そこに行こう」

 心癒されるその場所を左に横切って、少し細い道を行く。

 足元の緑がなくなり、むき出しの地肌が現れる。それと共に、先ほどから微かに聞こえていた高い金属音が強くなる。まるでアクション映画で聞いた剣のぶつかりあうような音だ。

 そしてそのオレの感想はまさにその通りだったらしい。

 いくつもの、石造りの頑丈な寮のような棟の角を曲がった先、運動場のトラックが四面は入りそうな広さの片隅で、幾人もの兵士らしき人たちが槍や剣を手に打ち合わせていた。殺伐とした雰囲気はなく、型を繰り返すような練習めいたものだったが、映画で見るのではない、本物の金属のぶつかる音にしばし呆然とする。

「うむ、やっておるな」

「王子殿下! ……打ち合い止め! 敬礼!」

 トロデに気づいた長身の男が何かを兵士たちに指示すると、あれほど打ち合っていた金属音が一瞬で消え、兵士全員がこちらを向いて同じポーズを取った。まるで示し合わせたかのように誰一人ずれることなく一斉になされたそれに、圧倒され思わず尻込みする。

 どうやら号令をした兵士がこの兵士たちの指揮官のようだ。男はすぐに駆け足でトロデの傍まで走ってきて、膝をつく。

「王子殿下、このようなところまでお越しくださり光栄です。我が隊の兵たちにどうかご指導頂けますか」

「今日もそのつもりで来たのだ。堅苦しい挨拶はいいと言っただろう。だが先ににお前を紹介したいから、兵たちは訓練を続けていてよいぞ」

「承知しました」

 男が立ち上がりまた何か声を上げると、兵たちは再び打ち合いを始めた。

様……と言うのは、そちらの方ですか? ああ、例のご友人ですね」

「そうだ。

 二人のやり取りを見ていると、男がこちらを見た。そして何か二人で話しているかと思うと急に呼ばれた。会話にオレの名前が一度出たことから、どうやらオレを紹介してくるつもりのようなので、トロデの傍に近づく。

 昨日玉座にオレを連れて行った兵士のこともあり、何となく警戒して若干トロデの後ろに回る。いや、子どもを盾にするわけじゃないけどさ。

 指揮官らしき男もまた、他の兵士と同じように服の上に鎧を着ていたのでこの人もまた兵士なのだろう。

 ただここにいるたくさんの兵士とは違い、少し鎧の仕組みが複雑で、装飾もされている。

 それでも昨日の兵士のほうが暗さの中でも分かるほどずっと装飾は鮮やかで、マントも羽織っていた。いかにも上位の者と分かるあの雰囲気を考えると、この兵士は一般兵よりは上だけれど、昨日の兵士達よりは下といったところだろうか。

「初めまして、といいます」

「俺はトロデーン王国兵士団第二隊兵士長アラン。アランだ。よろしく

 通じないことは覚悟の上で先に自己紹介をすると、彼はにっと笑って名乗ってくれた。その笑顔に少し緊張が解けた。

 兵士のそれが名前だと分かったのは、彼が二度目の名前の部分だけゆっくり言ってくれたからだ。

「えーと、アらン? アラァン?」

「アラン」

 どうやらちょっと発音が違うようだ。トロデの「ロ」はRの発音だったけれど、アランの「ラ」はLの発音でもないらしい。耳にした音を心の中で繰り返して口に出す。

「ア、らン、違うな。ア……ラン。アラン」

「そうだ。アランだ。よろしく」

 合っていたらしい。アランか。むしろ発音は「アリャン」っぽいんだけど、聞き覚えのある名前で覚えることにする。

「アラン、よろしきゅ」

 アランが二度言った言葉を真似てみた。アランは少し目を見開いて驚いたあとフッと笑う。

「ああ、よろしく」

 合っていたらしい。よかった。手を差し伸べられたので、握り返した。

「王子殿下、言葉が分からないのでしたら教師を付けてみてはいかがでしょう。言葉が分からないのは何かと不便でしょう。幸い彼には言葉を学ぶ意欲はあるようですし」

「む、本当ならば私が直々に言葉を教えたいのだが。そうだな、トーマスはどうだろうか」

「トーマスでありますか。トーマスというと文官の……。言ってはなんですが、彼は文官の真中(まなか)のレベルに留まっています。殿下のご友人に付けるならもっと優秀な者のほうがいいのではないでしょうか」

「真中に留まっているのだとしても、トーマスは決して怠け者ではない。伸び悩んでいると言うのなら、別の風を吹かせてみればいいのだ。よい機会だと思うぞ」

「左様ですか。殿下がそう仰るのでしたらトーマスを彼につけるよう、手配しておきましょう」

「頼んだぞ。大臣のやつは煩いからな。さて、目的の紹介も終わったことだ。そろそろ打ち合いをしたのだがよいか?」

「ええ。今日の武器はいかがしますか」

「うむ、いつも通り、いつ如何なる時でも使えるようアストロソードで相手をしよう」

「ではこちらの剣を」

 必死にヒアリングをしながら二人を見ていると、アランが腰につけていた鞘から剣を一振り抜いた。頑丈そうだが、造りはシンプルな木製の剣だ。

「相手の兵は、真剣で構わんからな」

「はい。魔法はいかがしましょう?」

「使ってかまわん。どうせ人は傷つけられまい」

「分かりました。少々お待ちください」

 トロデに渡された木剣をしげしげと見ていると、トロデがオレに向いて不敵な笑みを浮かべた。

、我が勇姿、とくと見せてやろう」

 何かを宣言されたようだ。何だろうか。トロデの目はきらきらと輝いている。楽しみで楽しみでたまらないという目だ。トロデや周りの雰囲気からすると、もしかしてこれからここで打ち合いをするのだろうか?


 少しして、アランに選ばれた兵がトロデの数メートル手前に駆けて来る。

 やはり打ち合いのようだ。


 そして二人は向かい合って剣を掲げるポーズを取る。試合前の挨拶のようだ。それぞれが持つのは、トロデが木の剣であるのに対し、兵士は金属の剣である。思わず見比べるが事実は変わらない。

「何で? 金属に木が勝てるわけないじゃないか。トロデ!」

 信じられない気持ちで、それでも試合を止めるべく駆け寄ろうとした。しかしすぐに肩を誰かに抑えられる。

「手出しはルールに反する!」

「離してください! あなたたちの王子様じゃないですか!? あんな無茶なことさせていいわけないでしょう! 子どもなんですよ! トロデは!!」

 オレがいくら必死に叫んでも誰も耳を傾けてくれない。言葉が通じないからオレが何を言っているのか分からないという顔だ。あとは、何を言っているんだという顔。オレが力いっぱい体を前に出そうとしているのに、肩におかれた手はびくともしない。力の差があまりにもありすぎる。

? どうした」

「トロデ! 剣だよ剣! トロデも相手と同じ剣にしてください! そんな剣じゃ負けに行くようなものじゃないですか!」

 オレの様子に気づいたトロデに、言葉が通じないならとジェスチャーで剣を示す。そうすれば、トロデは納得して剣を見る。

「これか。大丈夫だよ。私の持つ剣は、何者をも打ち砕く無敵の剣だ。負けはせん」

 トロデは余裕の表情で何かを言うと、相手の兵に向かいあって元通り剣を構えた。

「トロデ……」

 安心させようとしているのか、その声は今までにないほど優しかった。大丈夫だと言ったのだろうか。その言葉、信じていいのだろうか。

 考えあぐねている間に、アランが戦いのゴングを鳴らした。

「始め!」

 鈍い音とアランの声が響き渡る。

 途端、二人が動いた。

 トロデのほうが少し早い。彼が相手に剣を入れる。思わず目を瞑ったオレの耳に聞こえたのは、高く金属がぶつかりあう音。

「……え?」

 目を開ける。トロデと相手の兵士が打ち合っている。何度も何度も剣が火花を散らすたびに聞こえるのは、ギンと少し耳に痛い金属の音。

「もしかして木じゃなかったのか?」

 だとしたらオレは一人騒いで馬鹿みたいじゃないか。

 なんだ、そうだったのか。剣の中に金属でも仕込んでいるのだろう。

 そう分かると肩の緊張が解けた。安心すれば、今度は魅入っていた。

 剣のことなんてほとんど分からないが、一片の油断もなく打ち合うその動きは踊っているようだ。特にトロデは楽しそうで、始終顔に笑みを浮かべている。

 打ち合いの音はだんだんと重いものになり、上から剣を振り下ろして、避け、くるりとターンを踏んで横から剣を叩きつけたときには、ガキンという大きな音が響いた。それに相手が一瞬よろめく。トロデはその隙を見逃すことなくもう一打。下から上に振り上げられたその攻撃の手により、くるくると回りながら相手の剣が吹っ飛んでいった。

「おお!」

 思わず歓声を上げたのはオレだけでない。後ろからも声があがる。にっと笑みを浮かべていたトロデは、次の瞬間はっとしたように後ろに後退した。

「ギラ!」

 一瞬遅れて、相手の兵士がそう叫んだ途端、兵士の手から炎が上がった。

「え!?」

 炎はトロデを追って牙を向く。それをマントで振り払っているうちに相手は手放した剣のほうへ走っていく。

「ギラって……」

 自分の見たものが信じられない。炎が人の手から放たれたのだ。何もない場所から、言葉に反応するように。しかもオレの聞き間違いでなければあの人は『ギラ』と言った。

 ギラという言葉、人を襲う炎。

 オレには覚えがあった。その不思議な技に。もしもそれが『魔法』と呼ばれるものなのであれば、間違いない。

「……ドラクエ?」

 思わず呟いて即座に否定した。もしそれが本当ならオレはドラクエの世界に来たことになる。

 ドラクエはゲームだ。空想だ。そんな嘘みたいな話、あるはずがない。


 トロデはすぐに相手の兵のもとへ駆け寄る。そして、キンと高い金属音が響いて決着がついた。

 ――勝者はトロデ。

 相手の兵士は剣を拾い取れたまではよかったが、トロデがすぐそこまで迫っていたためにまともな構えが出来ず、一度防いでそこでまた剣を手放してしまった。そしてトロデの剣が首元に置かれてチェックメイト。

 訓練場に拍手が響き渡った。オレもトロデに拍手を贈る。

 トロデは嬉しそうに兵たちに向かってガッツポーズを取ると、さらに歓声が上がった。まるでそれは別の世界の出来事のようだ。

!」

 たくさんの拍手に見送られて、トロデがオレの傍まで駆けて来た。

「どうだ、私はすごいだろう?」

 満面の笑みで声を弾ますトロデの言葉は分からないので、オレはただ笑みを返す。

 オレよりずっと小さなその体で、兵士を打ち負かすその姿。素人のオレから見ても、彼自身が強いのだと分かる。

「トロデはすごいんですね」

 日本語なので通じないだろうに。それでもやはり、トロデはオレの言葉に満足げに頷く。


 オレはちらりと彼のマントに目を移した。

 あの時、炎を払ったトロデのマントには焦げた跡すら見当たらない。



 中世のような時代。王族であるだろうトロデ。剣術。『ギラ』と聞こえた魔法。

 もしかしてと思う要素はいくつかある。

 だけど、だけどだ。

 例えば別惑星の宇宙人だったりだとか、パラレルワールドという意味での異世界は、SFとして身近な空想だから、そういったSFの延長で、ここは地球じゃない別世界だろうということは信じられる。

 だけどドラクエはゲームだ。人が作った空想の産物。

 そんな意味での異世界なんてありえるのだろうか。いや、ここにオレがいる時点でありえているのだろう。

 それでも容易には受け入れがたい。

 ――そんな嘘みたいな話、あるはずがない。

 そうだ、空想のようなそんなことあるはずがない。

 なぜなら『ドラクエの世界』というだけで、それはオレの想像の範疇になるからだ。

 オレが来た世界が、偶然、自分が少なからず知っているゲームと同じだなんて都合がよすぎる。

 それならオレが現実だと思っているこの現実が、現実であるとは限らない。




 ――もしもこの数日が、ドラクエの世界に来る夢という究極の現実逃避だとしたら……?







アストロ(ン)ソード
小枝にすら硬い金属質を与えることの出来る、トロデー王族に代々受け継がれる技。


2010/05/28




第ニ話:異文化に触れる(3)

 

「大丈夫か?」

 オレを覗き込むトロデに、小さく「大丈夫だよ」と笑みを返す。

 言葉が分からなくても彼の表情や口調から、オレを心配してくれていることが伝わってくる。

 室内は涼しく、オレはひんやりとした空気を吸い込んで溜め息した。



 ドラクエの世界かもしれない。それに動揺したオレの表情はどれほどひどかったのか。

 オレの変化にトロデはすぐに気付いた。

 そして兵士たちが練習をしていた広場のすぐ傍にある建物に連れて来てくれた。

 そこは休憩場兼物置なのか、いくつかの長椅子やタルだけでなく雑多といろんなものが置かれている。

 午前中に行った詰め所よりは数も少なく品も簡素だが、武具や防具の類も飾られている。その壁には地図が。

 遠めにその地図が気になったが、トロデに手をひかれて長椅子に腰掛け、さらに横になるよう促された。

 オレの傍には、トロデの他にオレを連れてきてくれた兵士の姿。

 起き上がろうとすると、トロデに押さえられた。

「もうすぐ神父が来る。少し待て」

 それからほどなくして、現れたのは、青い法衣に身を包み長い帽子を被った、いかにも神父という感じの初老の男だった。

 彼が現れた瞬間、思わず体が強張った。

 だけど目を走らした先の帽子と首に掛けられたロザリオに描かれた印を見て、体の力が抜けた。


 ドラクエならそこには十字架が描かれているはずだった。

 しかし彼の帽子のそれは明らかにオレの知っている十字架とは別物のそれ。どこかで見たことがあると思えば、あれだ。ギリシア文字のプサイに似ているのだ。

 そのプサイの十字架(とオレは勝手に呼ぶことにした)をオレはドラクエで見たことがない。



 ――もしもこの数ヶ月間が、ドラクエの世界に来る夢という究極の現実逃避だとしたら……?



 それはオレの杞憂に終わった。

 もしこれがオレの空想の世界なら、オレが思い描く神父は間違いなく十字架を法衣に描いている。

 たとえオレの耳が聞いたとおり兵士の使った魔法が「ギラ」でその他にもドラクエの世界のものがあったとしても、これはオレの空想でないと信じられる。



 それにオレは安堵した。





◆◇◆◇◆◇◆◇





 王子としての勉学に少々飽いて抜け出した、その逃げ先である南の塩湖に突如として現れた

 私は彼を連れ帰り、私の友人として迎えた。

 なぜ彼を友人として迎え入れたか。理由は彼にある。

 私は彼が別世界から来たのではないかとにらんでいるからだ。

 言ってはなんだが、の顔は平々凡々で神々しさなど欠片もない。悪くはないが顔の造りが薄いのだ。

 しかしそれがある意味特徴的でもある。その薄さにすぐに忘れられるか、周りとの造りの違いにすぐに覚えられるかのどちらかだろう。私は後者だった。

 それから、彼の荷物。

 今は私が預かっているの荷袋は、当時、が現れたとたん爆発した。

 幸い大事に至る前に私が何とか火を消し止めたのだが、荷袋は一部焦げ、中のものはバラバラで嗅いだことのない嫌な匂いがした。

 そしてその荷はバラバラながらも、見たことのない技術で造られていたことが一目で分かった。

 それを周りの者にあっさりとばらすのは拙いことだ。だから私の私室の棚に隠してある。

 いつかに返すつもりだ。まあほぼ消し炭ではあるが、の私物だからな。


 そういう理由から、きっとには帰る場所はないだろうと見ている。

 それならばちょうど私も友人が欲しかったところなのだし、友人にしてしまえと思ったのだ。

 トロデーンの国籍を与えれば、路頭に迷うこともない。にとっても有益で、一石二鳥だ。


「……殿下、この者もしや異教徒ではないでしょうか」

 の様子をつぶさに観察したのちそうぽつりと呟いた神父に、私は眉をよせた。

「そんなことより、の具合はどうなのだ」

 今知りたいのはの具合だ。私が状態を急かすと、神父はゆっくりと頷いた。

「それはもう大丈夫でしょう。おそらく寝たきりの後に急に動きすぎたため、体の負担になったのだと思います。念のため気力回復の魔法をかけました。顔色も最初に見たときより幾分よくなっています」

「そうか、ならよかった」

「様子を見て、あとは薬師に任せたらいかがですか。私は回復魔法の心得はありますが、細かな症状には魔法より薬草のほうが効きましょう。連れまわすのはこのくらいにして後は休ませてあげてください」

「ああ、そうしよう」

 言われなくても、もしに熱があったなら今頃呼んでいたのは薬師だ。魔法は怪我を治し気分を改善しても、病は治せない。

 それどころか下手すれば回復魔法によって悪化する可能性がある。

 朝、薬師に診断してもらって外出許可を得たのだが、少し連れ回しすぎただろうか。あとで薬師によく効く薬湯を作らせよう。


「それで、先ほどの話なのですが、この方異教徒かと思われるのですが」

 神父が再度そう私に尋ねた。

「なぜそう思うのだ?」

 別世界から来たのであれば、信仰が違ってもおかしくはないだろう。だがそのことを知らない神父がなぜが異教徒などと言うのか理由が知りたい。何か私が見落としていることがあるのかもしれない

「まず、私の姿に驚かれたこと。そしてやけにじろじろとロザリオを見ること。見慣れているならここまで見ないでしょう」

「なるほど」

 人は当たり前のものにはそれほど注目しないものだ。そういえばは私の案内の中、きょろきょろ辺りを見回し、あるいはじっと見ては驚いた顔をしていた。あれらもにとって見慣れないものだったということだろうか。

「それで、どうなのですか?」

「さあ、どうだろうな。知っての通り、は言葉が通じぬ。私が見たところ名前以外全てを忘れてしまっているように思える」

「私にはどこか秘境に隠れ住む言葉も違う異教徒が、何かの事故で殿下のもとに参ったように思えます。顔立ちも随分違いますし」

「そうは言われても、言葉が通じないことにはなあ……」

 私はそう押し切ることにした。言葉が通じないのは本当で、今は本当になんとなくで会話している気持ちになっているだけだ。

「では殿下、なんとかして言葉を覚えさせてください」

「言葉を覚えさせるのはすでに考えていたことだが、もし異教徒ならどうするつもりだ」

「もちろん改教させます」

 神父は真顔でそう答えた。彼の目は凪のように静かだった。

「……応じなければ」

「いくら殿下のご友人とはいえ、異教徒ならば、規則にのっとってしかるべき処置をさせて頂きます」

 返答は予想通りだ。まあそれも当然といえば当然だろうが、だけは拷問室行きにも監獄島行きも勘弁してほしいものだ。

「そうか分かった。では言葉を覚えたのち信仰を尋ねよう。期間はそうだな、三ヶ月でどうだろう」

「長すぎます。一ヶ月でお願いします」

「それはさすがに短すぎる。……二ヶ月だ」

「……分かりました。では二ヵ月後の今日、立待月の日に彼に聞きましょう。司教様にも伝えておきますね。それまでは彼の習慣どおりに暮らしてもよろしいでしょう」

 神父はそう言うと戻っていった。

 気分がよくなったのだろうが起き上がり椅子に座っている。彼が先ほどからこちらに気をやりながらじっといたのは気付いていた。会話を聞き取ろうとしていたのだろうか。

 椅子から飛び降りての手を取る。笑顔を向けると、つられるように笑みを返してくる。の笑い方はなんだか好きだ。


 猶予は二ヶ月。

 その間に私がしなければならないのは、出来るだけ早くと意思疎通を可能にして、彼に自分の状況を把握してもらい、なんとしてでも改教に応じてもらうこと。

 応じなくても、せめて応じるふりをしてもらうことだ。

 そうでなければ、今でもわずかに残る悪習でが殺されるか、あるいは生涯出ることのできない監獄島に入れられるかもしれないのだ。

 私が連れてきた以上、そんなむごい仕打ちできるわけがない。しかし教会にはそれだけの力がある。

 ぐずぐずしてはいられまい。


 行きとは別のルートでを部屋に連れて帰った。道中もやはり興味深そうに辺りを見回していた。


 疲れた様子のを薬師に任せて部屋を出る。

 ぐずぐずなんてしていられない。アランにすでに頼んであるから今頃話はついておろう。

 私は新しくできた友を助けるべく、文官トーマスのもとへと向かった。





◆◇◆◇◆◇◆◇





 次の日、トロデと一緒に顔を出したのは一人のひょろりとした男だった。

 西洋人の年齢なんて正しくは分からないが、おそらく三十手前か、いっても三十前半くらいだろうか。

 栗色の短髪の上にはひし形の帽子。海外の大学生とか文学人が着る正装に似ている。そのままのイメージ通り学生でいいのだろうか?

 男の目は円らだが、鼻は西洋の顔立ちを現すかのように高い。背もオレより二十センチは高いだろう。

 まあ見た目はどうでもいいんだが。

 問題は、そのいかにも文系っていう肌の白さに合わさって、態度が挙動不審なことだ。

 緊張しているのか。表情が硬い上に真っ青で、オレが見て分かるほどに気分が悪そうだ。大丈夫かこの人。

「よ……よよ……よろしくお願いしま……す」

 声も震えてる。なんだか逆に気の毒になってきた。

「トーマス、緊張を解け。が不審がっているぞ」

「しししかし王子殿下! 私なんかが王子殿下のご友人の教師など恐れ多いのではないでしょうか……!?」

 突然トロデに向かって叫びだした男に思わず体が退ける。

「落ち着け。が怯えておる」

「もも申し訳ございません!」

 男は震えながら何度もトロデに頭を下げている。あまりにキレイに腰を折るさまは、まるでしし落としだ。

「うむ、私がいるから緊張すると言うのならば私は退出しよう。では後は任せたぞ!」

「え!? そんな! わ、分かりました! ご期待に添えられるかは分かりませんが、精一杯ご指導させて頂きまうっ!」

 あ、今舌かんだ。

「じゃあな! しっかり言葉を覚えろ!」

 言うなり颯爽と出て行ったトロデを止める間もなく。残された男とオレ。どうしようオレ。頑張れオレ。

「あー、えーと。初めまして。オレはです」

「は、はい。様! 私はトーマスと申します。いい以後おしみりおきを!!」

 ……名前はどれだ? しかも今度は語尾が裏返ってるし。

「うわー! 間違った! お見知りおきをです! はい!」

 何か一人騒いでいる。なんていうか一人漫才にしか見えないものを見てるだけしかできないってきついな、この空間。

 それにしても、今の自己紹介らしきものの中から名前を探り当てるのは至難の業だ。

 だけど少しほっとしたことがある。この人はオレを無視しなかった。テンパってるが、こちらを無視しているわけではない。

です。あなたは?」

「あ、あああ! そうでした言葉が通じないのですよね!!? 私はトーマス。トーマスです様」

 意図をすぐに分かってくれたのか、言葉の最後に同じ単語が何度も繰り返された。

 トーマス。これはほぼそのままの発音だ。言いやすい。これでオレの知り合いはトロデとアランとトーマスになった。

 トーマスの様子もさっきに比べだいぶ落ち着いたようだ。

「私は今日から様の教師をさせて頂きます。なので私のことはトーマス先生と呼んでくれると嬉しいです」

 なんかちょっと照れてる。なんでだ。

 繰り返し自分を指しながら名前を連呼している。トーマスという名前の後ろに何か語尾がついている。もしかして敬称だろうか?

 トロデを呼び捨てにしているのに、トーマスに敬称をつけるのは有りなのか。

 オレとしては初対面なんだし敬称つけて呼ぶほうが楽だけど、トロデは敬称らしいものつけると嫌がるからな。

 迷っていると、迷っていることが伝わったのか、トーマスの表情が暗くなる。

「トーマスせんせい?」

 慌てて呼んでみると嬉しそうに目を見開いて頷かれた。それはどこかほっとしているように見えた。

 敬称は気になるが、そのままトーマスせんせいって呼ぼう。ちょっと言いにくいが、慣れれば大丈夫だろう。


 何とか自己紹介を終えて、トーマスせんせいが本と紙とペンを部屋の中に運ばれた机の上に置いた。

 それでようやく、彼がオレに何かを教えに来てくれたのだと気付いた。すると「せんせい」は「先生」だろうか。


 まず持っていたペンを指で指しながら、何度も同じ言葉を繰り返してくれた。

 どうやら始まった講義は言葉の勉強らしい。渡りに船だ。

 彼の持ってきた紙を要求した。さすがに一度に覚えられるとは思えないからだ。

 それは木の繊維でできた普通の紙に似てるが、手触りが少し違う。羊皮紙だろうか。しかしその割にはトーマス先生の持っている紙はなかなかに大量だ。一束以上はある。羊皮紙はあまり量産できないから、中国から入ってきた紙が重宝されたということを聞いたことがある。なら、これは羊皮紙でもないんだろうか。

様? どうしました?」

 考えても埒があかない。

 オレはもらった紙に日本語でメモを取る。書いて口に出して覚えてを繰り返し、一つ一つの単語を覚えていく。

 その中でも割かし早く習ったのは数字だった。

 そしてオレは衝撃の事実を知ることになった。


 なんとトロデ、二十歳だという。


 思わず声をあげた。あげるだろう!? オレは小学生くらい、しかも低学年くらいだと思っていたんだ!

 だって小さいし、よく表情がころころ変わるし、元気だし!!

 ……まあ今思えばそんな年齢だからこそ、剣の試合をするなんて自体に誰も驚かなかったんだなーと納得した。

 それから、トロデが年上なら手を繋いでいる光景はさぞおかしなものなんだろうという恥ずかしさも込み上げてきた。いや、仕方ない。仕方ないんだ。オレ、方向音痴だから。


 さらにもう一つショックを受けたことがあった。

 トロデの年齢を聞いて驚いたあと、年齢を聞かれたから素直に答えた。

 そうしたら今度はトーマス先生に信じられないとでも言わんばかりに叫ばれた。


 オレ、十三歳くらいに見られていたらしい。

 そりゃここにいる人たちに比べれば細いけど、身長はトロデよりあるのに……。



 ヤケになってその日はかなり多くの単語をつめこんだ。

 昼をまたいで勉強して、夕方になってトーマス先生が帰ったあとも復習を繰り返した。体力は戻りつつあるし、もともとオレはそれほど睡眠を必要としないから、眠くなるまでとなると、結構夜中になる。

 やけに静かな部屋の中。

 オレは窓際にいて、月の光が明かり代わりだ。

 この世界の月は少し大きく感じる。窓辺に寄れば手元の紙が難なく見えるほど明るい。


 コンコンと遠慮がちなノックは静寂によく響く。

 こんな時間に誰だろう。そう思いながら覚えたばかりの言葉で「はい」と返事した。

、起きていたか」

 ぴょこりと顔を覗かせたのはトロデだ。今日は一日中言葉を習っていたので朝ぶりになる。

「トロデ、こンばんハ」

「おお、もう言葉を覚えたのか! こんばんは!」

 トロデの態度は分かりやすい。オレが挨拶を覚えたことを我がごとのように喜んでくれる。それが嬉しい。頑張った甲斐があるってものだ。

 しばらく嬉しそうに飛び跳ねていたがトロデは笑顔のまま、ハーと大きく息を吐いてぴたりと動きを止めた。

、大事な話があるんだ」

 笑顔が少し真剣なものに変わった。

「とても大事な話だ。もしかしたらにとっては辛い選択になるかもしれないが、それでもお前がここで生きるには必要なことなんだ」

 その声から真剣さは伝わってくる。だけど速すぎて、知らない単語が多すぎて、聞き取れたのは自分の名前だけだった。

 どう答えようか迷って口にしたのは、習ったばかりの精一杯の言葉。

「トロデ、ごめんなさい」

「なぜ謝る?」

「ごめんなさい」

 謝るしか今のオレにはできない。

 オレが覚えたのは身の回りの物の名前と一通りの挨拶と感情を表すときの言葉だけだ。物の名前は大分覚えられたが、会話に使えるようなものじゃない。

「オレ、まだ少ししか言葉を覚えられていないんだ。だからトロデが何を言っているか分からないよ。「ごめんなさい」」

「……そうか、すまない。そうだな。まだ一日目だ。まだ話は早いか。すまない、つい急いてしまった」

 しょんぼりと肩を落としてしまったトロデに慰めの言葉をかけたい。オレは今日習った単語に急いで目を走らす。

 オレが知っている言葉で意味が伝わるものは――あった。


「トロデ、元気もりもり!」


 それを口にしたとたん、トロデが吹き出した。

「ははは! なんだそれは! トーマスはお前に何を教えているんだ?」

 心底おかしいのか、涙目だ。面白いことは何も言ってないはずだけど、もしかして何か間違えたんだろうか?

 昼間、トーマス先生のジェスチャーを真似しながら一緒に大声で繰り返して覚えた言葉の一つ。

 体を動かして覚えたから発音は完璧のはずだったんだけど、笑うほどおかしかったのか?

 思わず居たたまれなくなって、顔に熱がたまった。

「す、すまない。違うんだ。別にお前の発音がおかしかったとか、そういう理由じゃないぞ! 笑って悪かった」

 ひととおり笑いきると、トロデは涙を拭ってそれでも笑みを顔に浮かべながら略された謝罪の言葉を口にする。多分笑ったことに対してだろう。

 少し予想と違う反応だったけれど、元気は出たようだから許すことにしよう。オレは「はい」と言って頷いた。

 それから少しの間、トロデに今日の勉強の成果をお披露目して過ごした。



 いよいよ真夜中という時間。短く、しかし楽しい時間はトロデによって切り上げられた。

「もうこんな時間か」

 呟くなり、椅子から飛び降りてオレを振り返る。

、ではな。おやすみ」

 聞き覚えのある挨拶の言葉。それの意味することをもうオレは知っている。

 もうそんな時間なんだと少し残念に思いながら、オレも挨拶を返した。


「おやすミなさい、よイ夢を」



 数日過ごして少し慣れた、ふかふかの豪華なベッドに潜り込みながら思う。

 トロデといる時間はやはり楽しい。もっと言葉を覚えたら、きっともっと楽しいだろう。

 早く、もっとたくさん言葉を覚えよう。

 そんなことを誓いながらオレは目を瞑った。







立待月の日
月の人がいるということで、日の名前は月の呼び名から。「立待月の日」は十七日頃。

見た目について
夢主は子どもに見られていますが、では体も小さく子どもっぽいトロデ王はというと、年相応に見えています。それは顔が濃いから。
身長は関係なく、顔の造りが深かったり濃かったりすると大人に見える、という風に捉えています。
トロデ王子の顔のイメージは五十歳の顔からシワとヒゲを除き、王冠を小さくした感じです。


第二話(3)おまけ:トロデの日記≪出会い編≫

2010/06/05




第ニ話:異文化に触れる(4)

 

 言葉の学習二日目には、何冊かの絵本らしきものを渡された。

 それらは子どものための絵本のようで、極端に文字が少なく、読みやすいよう大きく書かれている。

 しかも、絵本はどれも手作りのようだ。

「有名な歴史の絵本を見繕ってきました。様、どうぞ気になった本をお取りくださいっ」

 トーマス先生は絵本を指し示して、何かを言った。聞き覚えのある言葉が混じっていたような気がしたが、変形させているのか確信がもてない。

「トーマス先生、本?」

「はい! 好き、本、取る。お願いします!」

 単語を並べてくれてようやく理解できた。ついでとばかりに、絵本という単語も教えてもらった。「絵」という言葉が変形されて「本」も少し変わる。……ややこしい。



 オレが選んだのは、特に表紙が目を惹いた一冊の絵本。

 七人の男たちが巨大な鳥に乗り、その先の巨大な不気味な影に向き合っている表紙。デフォルメされたその絵の、巨大な鳥が気になった。

 オレがこの世界に来ることになったあの鳥に、なんとなく似ている気がするのだ。

 そういえば、ドラクエといえばラーミアだ。

 まさかここがドラクエに関した世界だとは思いもしなかったから思い浮かばなかったんだけど、ドラクエの世界だと分かった今、関連付けて考えてしまう。もしかしたら、あの鳥はラーミアだったんじゃないだろうか?

 オレはトーマス先生を呼び、巨大な鳥を指差した。

「名前、ラーミア?」

「この方ですか? いいえ違いますよ。名前はレティス。レティス。かつて闇の時代に七賢者の力になったと言われる神の鳥、レティスです」

 あ、なんだ違うのか。確かにラーミアとは外見が違うもんな。

 わくわくしていた気持ちがしぼんでしまった。ちょっと興奮してたんだと今なら分かる。

 あの鳥が、なんでオレの世界にいたのかは知らないけど、いつか会えたらいいと思う。


 オレは気を取り直して、絵本を開く。

 その本は、どうやらその七人の男たちが巨大な影を倒したという話のようだった。

 挙動不審なトーマス先生が熱く語るその姿を見るところ、よっぽどこの話が好きなんだろう。

 言葉のほとんどを理解できないまでも、彼の様子からそれがよく分かった。



 その日の夜、オレは復習のあと別の紙を広げた。

 まだ記憶が鮮明なうちに、ドラクエ知識の記録をしておこうと思い立ったためだ。

 今日読んだ絵本のそのほとんどが冒険譚で、敵側に描かれていたのはドラクエのモンスターたち。

 空想でなく、現実にいるものとして描かれたモンスターだ。

 その中に見覚えのあるモンスター以外にオレが全く見たことのないモンスターの姿もあった。

 それでも見覚えのあるモンスターは、ほぼオレの覚えているとおりの姿をしている。

 そこで思ったのは、せめてゲームで得た知識をこの世界で適応できないか、ということだ。

 シリーズごとに少なからず仕様が変わっていたから、オレの知識もごちゃまぜだが、ないよりはマシだろう。残しておくことで何か役に立つ日が来るかもしれない。

 そういう理由から、オレは覚えている限りの知識を日本語で紙に書き留めることにした。

 記憶が鮮明とはいえ、すでに最後にプレイしたのは数年以上前になる。

 薄れた記憶から知識をかき集めるその作業は一日では終わらず、二週間近くかかることになった。

 中には勉強の最中にこの世界の知識から記憶が呼び覚まされることもあったからだ。

 そうして出来上がった紙の束と、何枚かの白紙をまとめて一冊に製本してもらった。オレにしか読めないオレだけのための本だ。

 その本は、まだ空間の多い本棚の一つの棚を陣取ることになった。





◆◇◆◇◆◇◆◇





 この城で暮らすうちに、オレは多くのおかしな面を見つけることになった。照明や武具もそうだが、身の回りの多くのことが見た目の中世から比べるとかなり進んでいる。

 その中でも特にオレとして有難かったのは、中世風なのに衛生面がきちんと設備されているということだ。

 下水道完備でトイレも完備。しかも覚えた単語を駆使して聞いたところ、汚水排除もしているようで安全なんだそうだ。おかげか風呂にも少なくとも数日に一度は入る習慣がある。飲み水でお腹を壊すような事態もない。正直これがなければかなりきつかった。

 それらの恩恵は、どうやらある石によってもたらされているらしい。

 トロデが見せてくれたのは、水樽にも入っていたオレの手のひらにすっぽり収まるサイズの石ころ。

 見た目変わったところはないが、石に触れている箇所から静電気のような不思議な感触が伝わってくる。

 トロデの言葉から分かるのは、これが魔物――モンスターのことだ――から手に入る、魔力の詰まった石だということだ。魔力の「魔」と宝石を意味する「珠」をくっつけて、魔珠と呼ばれるらしい。……すごく発音しにくいです。

 これを加工することで、いろいろ便利なものができるのだという。

 加工とか言いながらも、水樽の中の石は見た目がそのままだったし、加工されている魔珠は見たことがない。

 結局よく分からなかったが、そんなプラス面があったため、文化が混ざってちぐはぐなものを見ても、今では心の中で突っ込みはしても、まいいかと思えるようになった。我ながら現金なものだ。




 また、ドラクエ知識を紙に書きとめてからも、オレの勉強は続いていた。

 単語だけでなく、少しずつ文章を覚え、果ては丁寧な言葉遣いや礼儀作法も教えられた。ここらへんはトロデの客人という立場上のものだろう。

 トロデが許してくれているとしても、王子と庶民では身分が違いすぎる。

 そのことを改めてトーマス先生に聞かされて、オレは納得しながらも心底困った。

 トロデはオレに対してかなりフレンドリーだ。それは短い付き合いながらも分かってきたことで、言葉少なに聞くところ、王様と会った次の日に見せられた書状は、実はこの国の国民証明書だという。

 見ず知らずのオレを助けたうえに、国民として迎えてくれたなんてどれだけ頭の下がる思いか。


 勉学の多くはトーマス先生が一人で教えてくれていたが、礼儀作法ともなるとそうはいかないようで、新しい先生が紹介された。

 少しなら会話ができるようになったとはいえ、まだまだ言葉には不自由する。

 それなのに、礼儀作法の教師の言葉遣いは上流家庭の婦人の話し方だそうで、トーマス先生の話し方とも違うため、慣れるまでは何を言っているのかさっぱり分からなかった。……その分かなりハードな教育を受けた。手が出ることはなかったが、トーマス先生とは雲泥の差のある厳しさだ。

 それでもひたすら耐えて、慣れないどころかほとんど関わりのなかった上流階級の礼儀作法を少しずつながらも身につけ、歴史や文化やオレにとってはファンタジーな魔法や魔物についての知識を詰め込んでいる。

 もちろんオレのためなのもあるが、何よりもトロデのためだ。

 オレはトロデを呼び捨てしているが、これは普通ならありえないことで、不敬罪もいいところだ。下手をしたら身分の低いオレなんかが王子であるトロデを呼び捨てにすることで、トロデが侮られる可能性が高い。

 そういうことが、だんだんと分かってきた。

 トロデと会話をもっと楽しみたいとか、そんな簡単な問題ではない。

 一緒に付き合っているオレが無知ではトロデが侮辱されるのだ。

 そしてトロデのことを「王子」と呼ばせてもらえるよう説得するのが今のオレの目標だ。





◆◇◆◇◆◇◆◇





 ドラクエ世界という補正と、もともとの勉強好きもあって礼儀作法以外は楽しい。だけど難関はやっぱり発音だった。

 読み書きは得意だ。聞くのも分かるようになってきた。だけど話すのがなかなか上達しない。まあオレの感覚だから、トーマス先生は上手くなったと褒めてくれるけど、不得手と感じるのは確かだ。

 単語の変形なんて易しいものだった。文章になったときの発音の難しさにくじけそうだ。

 英語なんて目じゃない。なんでこんなに難しいんだ。ドラクエならいっそ日本語でいいじゃないか。



 そんな風に煮詰まっていると、トロデが町に連れて行こうと誘ってくれた。

 人との会話の練習になるだろうとのことだ。

 確かに、オレが普段まともに話す相手といえばトーマス先生かトロデくらいだ。

 トロデもトーマス先生も、オレが言葉に不自由なことを分かってくれているので、辛抱強く待ち、意味を汲み取ろうとしてくれる。

 それは有難いことだけど、実際に初対面の人と会話をするという経験も、暮らしていくには必要になってくるだろう。

 オレは喜んで承諾した。



 この城の町というのは、城の中に作られている一般民の町のことだ。

 ドラクエで城の中というと、真っ先に思いつくのはグランバニアの城下町やアークボルト城といった魔物の襲撃を前提とした町だ。

 だけどそれとは事情が違うらしい。

 ずっと昔はこの国にも外に城下町があったそうなんだが、トロデのお祖父さんの代に大きな戦争があって、それがきっかけで大きな町に発展していた城下町はこの国から独立してしまったらしい。

 そして新たに城の中に町が出来た、という経緯があるという。


 町は城内の半分ほどを占めている。

 城の中とはいえ、住宅の固まった区域と店舗の固まった区域と別れており、オレが連れてきてもらったのは店舗のある区域だ。

 トロデは一応お忍びらしく、中世の町民の服のようなものを着ていた。オレもお揃いの格好だ。それでも生地は上質なので見る人が見れば一般民ではないとすぐに分かるだろう。……というかトロデの顔は言っちゃなんだが独特で濃いし、背も低い特徴的な外見をしているから、すでにばれている。

 子どもたちには「王子様こんにちはー」と挨拶されて、トロデも普通に「やあ、元気かお前たち」と返事してた。お忍びする気があるのか、ないのか。……ないだろうなあ。

 さらに、トロデに気づいた大人たちにも大注目され、深々とお辞儀をしたり、中には土下座までする始末だ。

 目立ってる。思いっきり目立ってる。


 そしてトロデに向けられた視線は自然、オレへも流れる。

 向こうの世界で慣れていたからすぐに分かる。敵視とまではいかないまでもそれらの目線は友好的なものがかなり少ない。友好的と思えるものだって、言うなれば好奇心の視線だ。

 おそらく、すでにオレのことは人々の間に少なからず、知られているのだろう。

 そしてよく思われていない。

 それがオレにはよく分かったし、トロデにも伝わったようだ。

「みなに紹介しよう」

 トロデが声をあげた。

 辺りはしんと静まった。

「彼は。我がトロデーンの新しい民にして、我が友人でもある。以後覚えておくように」

 どうやらトロデはオレを紹介してくれたらしい。トロデはオレを「友人」と言った。

――友人とは、そうですね……私にとっての友人とは、大事にしたい相手でしょうか。家に招いたり招かれたりすることもあります。私はそこまで親密な友人はいないのでちょっと憧れです――

 トーマス先生の説明によると、友人とは、どうやら家に呼ぶ大事な人のことらしい。この城は言うならばトロデの実家。オレはトロデに迎え入れられ至れり尽くせりの好待遇を受けている。おそらく客人という意味だろう。

「ハじメまして、でス。王子ノ友人トして、ここキマした」

 その時ばかりは、少し睨まれただけで呼び名に対して何も言われなかった。

 大勢の前で、言葉を披露するのは初めてだ。上手く伝わっただろうか。

 人々の反応は薄く、戸惑うような雰囲気があった。正直かなり気まずい。発音が悪くて意味が通じなかったのかもしれない。

 だけど誰かが拍手したのをきっかけにみんなが拍手しだした。「おめでとうございます王子殿下!」なんて、何に対してだか分からないお祝いの言葉も飛んだから、全員が納得しないまでも、とりあえずは同じ国民として受け入れてくれたのだと、少し安心した。


 そのよく分からない紹介タイムはすぐに終わった。トロデが解散の合図を出したからだ。

 各々の買い物に戻る主婦たち。店に散っていく店主は強かで、王子であるトロデ相手だというのに普通に呼び込みをする。

 それらを冷やかしながら通りを歩く。しかし甘味や香ばしい串焼きといった食べ物屋の誘惑には思わずつられて、作ってるさまをじっと見てしまった。まるでお祭りの屋台のようでなんだかわくわくする。

「美味しそうだな、リョウあれを買え」

「おれ、お金ナイでス」

「金ならあるから」

 そう言って、トロデが財布を取り出した。

 ……なんで王子が財布持ってんだ。

は、トーマスからお金の価値や単位について聞いたか?」

「聞くシましタ」

「なら大丈夫だな」

 この世界のお金の単位はゴールドで、ドラクエと単位が一緒だ。おかげで初めて聞いたときは興奮したものだ。

 十進法である点は理解できたから使うのに問題はないが、物の価値が分からない。

「だけど、高い、安い、分かるナイ」

「私がいる。リョウは買う練習をすればいい」

「買う練習……」

 トーマス先生とは何度か擬似買い物の練習をしている。それの実践ということだ。オレはトロデに向かって頷いて、いささか緊張しながら店主に向き合った。

 硬貨の種類は七種類。

 一番下が銅貨で1ゴールド。次が多分青銅でできた半円型の硬貨が5ゴールド。円形の青銅貨が10ゴールド。

 赤褐色の硬貨の半円型が50ゴールド。この硬貨はやけに軽く、どう見ても金属じゃないがしっとりとしたさわり心地で、材質は「りゅう」の「うろこ」で出来ているらしい。

 その不思議な材質の円形の硬貨が100ゴールド。円形の銀貨が1000ゴールド。金貨が10000ゴールドだそうだ。

 半円型は5円や50円のようなものだ。硬貨のみだが、お金の種類も日本円とほぼ同じですごく覚えやすかった。



 先に、トロデの希望を聞いて、食べたいものを注文する。トロデの財布から必要なお金を払いおつりをもらった。

 こうして難なく、オレの初めての買い物は終了した

 ちなみにオレがトーマス先生に見せてもらったのは銀貨まで。金貨となるとトーマス先生は怖くて持ち歩けないらしいんだけど、トロデの財布の中の半分は金貨だった。さすが王子だ。

 さらに、硬貨には発行した場所の名前と国章あるいは町章が描かれているんだが、トロデの財布の中の硬貨はそれ以外のマークのものもたくさんあった。特に多いのはトロデーンを除いて三種類。トルパタ、リギャス、パットレンキュー、と読むんだろうか?

 パットレンキューのマークは船が大きく描かれていた。



 財源はトロデ、買うのはオレ。

 買いたいものを見つけたときはそんな役割分担で、店を見て回った。


 そんな折。

 一軒の店で、とても見覚えのあるものを見つけた。

「キメラの翼……?」

 足を止めたオレにつられるように、トロデも足を止める。

「どうした?」

「これ……」

 鳥が翼を広げたそのままの形で羽をまとめて金色の金具で留めたような形は間違いがない。

 オレは、飾られている展示ガラスにそっと触れる。店主がそれに気づいて奥から同じ形の商品を出してきた。

 それは展示されているものに比べて何倍も光り輝いて見えた。

 まるで展示品が剥製で、店主が持ってきたものが命ある生き物であるくらいの違いだ。

「なんだ、キメラの翼か。ほしいのか?」

 すぐに財布を取り出そうとするトロデを見て、慌てて首を横に振った。今までの買い物は、すべてトロデが欲しいものをオレもついでに買ってもらっていたのだ。トロデの財布なのにオレだけのために払わすわけにはいかない。

「欲しいんだろう? そんなに高価なものじゃないのだから遠慮するな。誰でもキメラの翼は使えるから興味があるなら使ってみるがいい」

「……いいノ?」

「いいとも」

 頷いて、トロデは店主に代金を払った。半円赤褐色の硬貨を出して円形の青銅貨二枚と半円の青銅貨一枚。つまりキメラの翼は二十五ゴールドということだ。ドラクエでは定番の価格である。

 改めて店の看板を見ると、ちょっと分かりにくい走り書きで、黒板に値段が書かれている。

『薬草8ゴールド、毒消し草10ゴールド、キメラの翼25ゴールド……』

 薬草も毒消し草も定番の価格だ。この情報は思ってもみない収穫だった。

「ここでは、天井にぶつかるから外に行くぞ」

「え、あ、うん」

 さらりと言われた言葉にびっくりした。

 実際にもやっぱり天井にぶつかるのか。思わずキメラの翼の入った紙袋を見て、天井を見上げてしまった。石造りの城の天井もやっぱり石造りだ。

 ぶつかればさぞ痛かろう。



 オレはゲーム画面の天井にぶつかる鈍い音を思い出し、思わず頭を撫でていた。







お金について
赤褐色の硬貨は竜の鱗製です。銅・銀・金だけでは使いにくそうだったので、青銅貨と鱗貨を追加。共通点は、どれもドラクエ8内で武具防具に使われている材質ということです。




2010/06/13




第ニ話:異文化に触れる(5)

 

 連れて行かれたのは、町の壁に作られた扉の外。そこは日に当たる広い回廊だった。

 その場所から見えるのは、頑丈な造りの城をさらに囲う城壁の、内側と外側の世界。内側は整えられた庭園や鍛錬場やいくつもの棟がある。外側はほとんど見えないが、標高の高い山脈が広がっているようだ。さらに風に乗って、ほのかに潮の香りが鼻をくすぐる。

、ほら使ってみろ」

「……どうヤって?」

 手の中に大事に抱えたキメラの翼。不思議な魅力を感じるこれを、いっそこのまま使わず取っておきたい気持ちもあるが、キメラの翼を「使う」という誘惑には負ける。

「念じればいい。帰ってくる分のキメラの翼は買ってないから、そのまま戻れるよう行き先はトロデーンにしろ。あの城門には移動魔法やキメラの翼で飛んだ際に着地点となるよう魔法がかけられている」

 彼が指差す方向には、この城の出入り口だろう城門の見張り台がある。

「行き先を思い浮かべてその場所の名前を唱えれば、キメラの翼が使用者の魔力と自身の力を使って移動魔法ルーラと同じように、その着地点に連れて行ってくれる」

 トロデはいつも通り、ゆっくりと噛み砕いてそう教えてくれた。

 オレはかねてからの懸念をトロデに打ち明けた。

「おれ、魔力アル?」

 魔法を使うにはMP、いわゆる魔力を持っていないと使えないというのがオレの魔法の認識だ。もちろんゲームで得た認識だけれど。

 トロデはなんだそんなことかと、こともなげに頷いた。

「ああ、使えるかは別だがな。魔力はこの地上のあらゆるものに宿っておる。ここに存在している以上万物に存在するものなのだ」

 それを聞いて、オレは心が躍った。

 それならオレにも魔法が使えるかもしれない。ゲームをプレイしたことがある人なら、一度は使ってみたいと思う「魔法」。

 ドラクエならメラゾーマ、ベギラゴン、イオナズン、それにバギクロス。あのモンスターを一掃するような魔法を使えたらどんなに爽快だろうか! ミナデイン……は勇者だけだから使えないだろう。ザラキーマ……もある意味反則すぎるし、使えても爽快感の意味が違ってくる。とにかく攻撃魔法が使えれば何だっていい。オレには何が使えるだろうか。

、おーい、聞いてるのか? せっかくなのだから早く試してみろ。いいか! 私は先に城門に行ってるからな!」

「あ、すみまセん。分かるマシタ」

 オレの返事を聞くなりトロデは城の中に駆け入り、ばたんと荒々しく扉が閉まる。

 どんなに急いでも、ここから城門まで辿り着くにはまだ時間が必要だろう。

 それなら先に行ってトロデを驚かせるのもよいかもしれない。


 オレは大きく深呼吸した。

 イメージすればいいんだよな。この場所からはかすかに城門の見張り台が見えるだけだ。動けば迷子になるのは分かりきっているので、その場から、見張り台を目に焼き付けて目を瞑る。このほうがイメージしやすいと思ったからだ。

 明るい中見た美しい庭園。庭園から見上げた巨大な城。兵士たちの鍛錬場。そしてこの場所から見える見張り台。

 手の中の柔らかな羽の感触を指で確かめながら、キメラの翼に念じる、その光景を。そうすれば不思議なことに、魔力の石を持ったときのような静電気が翼を包む。やっぱりこれが魔力なんだろうか。

「トロデーン」

 そう口にしたとたん手の中の不思議な感覚が全身を包み、足が地を離れ体が浮き上がった。



 地面の感触に、瞑りっぱなしだった目を開けたとき、オレの眼下に広がったのは広大な大地。

「は?」

 魔力の守りが消えたせいか体重が足にかかった。それはあまりに場所が悪かった。

 急斜面のその場所が屋根の上だと分かったときには、オレは滑り落ちていた。

「うわああああ!?」

 とっさに伸ばした手が屋根の軒にかかったことで失速し、しかしそれをしっかり掴むには落下の速度が速すぎた。体重の重みに負けて手が離れる。

 遠ざかる屋根にもう一度手を伸ばしても、もう届かない。

 血の気が引いた。どのくらいの高さがあるのか分からないが、落ちたらきっと即死だ。



 それはあっという間だった。

 どしんと尻から落ちて、そのまま後ろにひっくり返る。頭にガツンと衝撃が走った。

「だ!!」

 響いた音は外側から聞こえたのか内側に響いたのか。頭をさすろうと伸ばした手が、冷たい石に触れる。

「……あれ?」

 見るとそれは見覚えのある石壁。

「おーい、大丈夫かお前」

 真上から覗き込む顔がある。見覚えのない顔だが、その格好は城内で見慣れた兵士のものだ。手には槍を持っている。

 警戒の色はなく、ただ呆れを含んだ表情でオレを見下ろしている。

 そして彼の向こう……というよりその頭上には屋根がある。円錐型の屋根はアーチ状の柱に支えられていた。

 その円錐型は間違いなくさっきオレが外側から見た屋根だ。オレは混乱する頭で、助かったのだと理解できた。屋根に一度でも手をかけることが出来たその反動で、体が屋根の下のこの場所に滑り込んだのだろう。

 まだ心臓は、先ほどの命の危機に恐怖してばくばくと鼓動している。

「……ココ、どこでスか」

 とりあえず聞いてみた。

「城のてっぺんの見張り台だ。お前どうやって登ってきたよ?」

「……キメラの翼で」

 いまだ疑問符でいっぱいな頭をさすりながら言うと、兵士は眉を寄せた。

「キメラの翼ぁ? 馬鹿言え。キメラの翼を使ったなら自動的に城門に降りるだろう」

「それガなぜか屋根ノ上に降りたんデス。……死ヌかと思っいまシタ」

 本当に死ぬかと思った。一瞬走馬灯が見えたもんな。

 それにしても、兵士の言葉は町の店主のように聞き取りにくい。一部の単語は分かるんだけど他の単語や形容詞自体が違うのかほとんど分からない。例えて言うなら方言だ。地元の訛りに親しんでいる人が他の地方の訛りを聞いて、ほとんど分からないけどなんとなく単語と文脈で言いたいことが分かる、そんな感じ。

 ただしそんな兵士らの言葉は、オレの習っている言葉よりは幾分すっきりしているような気がする。

「マジでか。……じゃなくて、本当ですか。キメラの翼の失敗作ですかね? よかったですね生きていて」

 何かに気づいたように、慌てた様子で兵士が言葉遣いを変えた。オレにとって馴染みのあるそれ。しかしさっきまで兵士が使っていた言葉がすっきりしていると思っていた分、堅苦しく感じてしまう。

 日本語で言うとですます口調の丁寧語に当たるんだろうか。その言葉遣いの変化に内心首をかしげるオレに、なおも兵士は話しかける。

「トロデーンにはどういった御用事で?」

 問いは思いもしなかったことだ。

「いえ、あノ、キメラの翼使ってミタくて使っタダけで、おれは他ノ国の人じゃないデス」

「そうなんですか? てっきりどこかの名家のお坊ちゃんかと」

 兵士は訝しげに首をかしげた。少し形は違うけれど、お坊ちゃんとは嫡子という意味だ。なんという勘違いだ。

「お坊チャンでないデス。トロデーンに暮ラシていまス」

 そう言ったとたん、兵士の態度がもとに戻った。

「なーんだ。それならそうとそんなお貴族様語話すなよ。無駄に緊張しちまったじゃねえか」

「おきぞくさま語……」

 貴族は貴族、それに敬称がついて、さらに言語という言葉が語尾につく。御貴族様語。意味は分かる。分かるけど、どういうことなのか。オレが習っていたのは一般的な言葉じゃなかったのか。それに少なからずショックを受けた。

「で、何? 一人で遊んでたのか?」

「いえ、友人とシテ迎えてくレテいる人ト一緒に」

「ダチ? どこにいるんだ?」

「おれがキメラの翼使ウなら、城門のトコロに行ってル言ってマシタ」

「城門? ちょっと待てよ、連絡取るから」

 兵士の言葉はかなり砕けていて、態度も親しみを覚えるものだ。店のやり取りではあくまでお客と店主だけど、彼とは一対一で話している感じが強い。ちゃんとオレは会話をできている。それが嬉しい。

 兵士は見張り台と言われたその柱に向かった。柱には伝声管らしきものが取り付けられている。

「あ、ああオレオレ。ちょっとさあ、こっちに迷子がいるんだけど、そっちにダチが行ってるそうなんだが、誰か来てるか? ……は? 王子殿下? だけ?」

 え、と思わず声に出してしまった。彼と話をしているうちにトロデは城門に着いてしまったらしい。

「トロデ、もう着いてるのか……」

 呟いて、はあと息を吐く。ああオレのトロデ驚かせ作戦が。

「は!? ……あ、悪い。ちょっと待て」

 兵士が何か驚きの声を上げた。俊敏とも言える速度でオレの傍まで近寄ると、オレの頭をがしりと掴んで顔を近づけた。その顔は怒りを含んだ真顔だ。

「なあ、お前今王子殿下を呼び捨てしなかったか? 不敬罪だぞ? 分かってるのか?」

 凄みの加わった低い声で兵士が言う。内心びびっているのを顔に出さないようにする。いつか来ると分かっていた事態だ。しっかり説明しないとトロデが馬鹿にされる。

「あ、はい。すみマセん。おれも王子って呼びタイですガ、トロ……王子が名前で呼べト」

「…………は?」

「だから決しテ王子を軽く見テルわけでナイですシ、おれが王子とつきあうコトでもしも王子が軽く見られルナラ、今以上努力しマス」

「…………」

 そこまで言うと兵士は呆然とした表情で固まっていた。何かおかしいこと言っただろうか。そう思って兵士の言葉を反復してみる。兵士は不敬罪だと言ってオレを怒ったんだよな。……ということは、別にトロデが侮られるような場面じゃなかったのか。オレは勝手に勘違いして見当違いのことを主張したのか? 恥ずかしすぎる!

「すみマセん、おれ、変なことを……」

「……つかぬ事をお尋ねしますが、お坊ちゃんのお名前はなんとおっしゃるのでしょうか」

 また兵士の言葉遣いが堅苦しいものに変わった。今度はトーマス先生の言葉遣いに近い。言うならば尊敬語だ。

 だからオレは貴族じゃないって言うのに。

「お坊チャン違うマス! おれの名前はいいまス」

……様、って噂の」

「うわさ?」

「失礼しました!!! すぐに看護兵を連れて参ります!!」

 兵士は九十度の綺麗な礼をすると、駆け足で階段を下りていった。



 それからしばらくして、オレはベッドの並ぶ部屋に運ばれた。

 駆け込んできたトロデに事情を説明すると、トロデは唖然としたあと盛大に吹きだした。

「き、キメラの翼で、失敗したやつなぞ、初めて見たぞ!!!」

 よっぽどおかしかったのか、大笑いしながらなんとかそこまで言って、トロデはまた吹きだした。

 相性が悪かったのか、全然別の場所に出たオレはというと恥ずかしさのあまり涙目だ。



 ベッドに腰掛けているオレが屋根から落ちたときにつくった怪我は、看護兵と呼ばれる人に治してもらっていた。

 オレはこの世界に来て、よく治療関連の人にお世話になっている。

 最初に会ったのは医者っぽい職務の薬師。次に会ったのは神父。そして今現在の看護兵。

 治療関連というだけで三種類も役職がある。しかも、そのうちの二人は魔法を使ってオレを治療してくれた。

 オレだって、キメラの翼を使えたということは魔力があることだ。だけど、上手く作用しなかったことから欠陥品の可能性がとても高いと言われた。

 欠陥品。ひどい言い様だ。しかしトロデは別の言い方をした。

「それは諸刃の剣かもしれぬよ。上手く作用せぬのは確かだが、そういう者の中には僅かばかりだが「諸刃の剣」と呼ばれる者がおる」

 諸刃の剣をそのまま直訳して、思い浮かべる。ドラクエにもあったその剣の特徴は。

「相手に与エタ怪我、自分ニ返てクル、こと?」

「いいや、普段は主に得になるような働きどころか下手をすれば主を死に追いやるようなその不器用な力が、危機に瀕したとき、思いもよらぬ力を発して他の誰も持たない最後の切り札になるという意味だ。呪われた後は刃が自らにも返ってくるが、呪われる前はまさに必殺剣とも言えるほどの威力を誇っていた諸刃の剣を例えておる」

 つまり、使いづらいだろうこの力が、いつの日か役に立つときが来るということらしい。

 ドラクエ脳で最初には思い浮かばなかったが、あちらのことわざでも諸刃の剣というものがあったことを思い出した。

 多大な良い結果をもたらすかもしれない反面、多大な危険性もあわせ持つものという意味だ。



 オレはどちらの意味であれるのだろうか。





◆◇◆◇◆◇◆◇





 町に行くことを覚えてから、オレの言語能力は格段に上がった。

 基本的にトロデなどの王族や上流階級の人たちの言葉遣いは難しく、下々になると形式が略されて、だいぶ話しやすい言葉遣いを使う。言うならば、庶民の話す言葉がため口かですます口調だけの丁寧語で、兵士やトロデたちが話す言葉が尊敬語謙譲語完璧、さらに古い言い回しも加わった丁寧語だ。そりゃ難しいはずだ。

 オレが好むのはその親しみやすさも含めて庶民の使う言葉遣いだが、トロデと話す言葉も一ヶ月を越す頃には、だいぶ発音できるようになってきた。あくまでもオレの感覚だけど、トーマス先生に発音を褒められることも増えてきたのは確かだ。

 オレの世界は広がって、トロデかオレ付らしいメイドが必ず一緒だけど、行動範囲も広がった。



 二ヶ月も近づくと、生活習慣も大まかなことは身についたし、猛勉強の成果あって言葉も滑らかになっていた。

 未だ分からない単語も多いし、間違えることもあるけれど、意思疎通ができるようになって少しだけ生活に余裕が出てきた、そんな頃の真夜中のこと。


 トロデが復習中のオレのもとに訪ねてきた。

 まるで勉強を始めて二日目のあの日のような雰囲気で部屋に入ってきたトロデ。

 今のオレは、あのときとは違う。

「こんばんは、

「こんばんは、トロデ」

 今でもまだ聞くほうが話すより得意だけれど、意味を理解ししっかりと発音できる。

 それがこの二ヶ月を隔てた違いだ。

、話がある。大事な話だ。聞いてくれるか」

 それは予想していたことだ。いつかオレが言葉を覚えたら来るだろうことは分かっていた。

 トロデはオレの返事を待っているが、王子であるトロデのそれは今のオレにとって命令に近い意味合いを持つ。ただしトロデにはそんなつもりは全くないのだろうけど。

「はい、もちろん」

 だからオレは野暮なことは言わない。ただ肯定の返事を返す。

、お前はこことは違う世界から来たのだよな?」

「……はい」

「世界」という言葉に驚いた。少し迷ったが、トロデがオレを助けてくれたという話は聞いているから、とっくに感づいていたのだろうと予想できた。それにトロデなら言っても大丈夫だろう。その信頼は正解だった。

 トロデはオレが肯定したことに少し驚いたそぶりを見せただけで、言葉を続けた。

「ならば、そのことは誰にも言ってはならん」

「……なぜ?」

「こことは違う世界があるというのは、学者たちの中でもある程度予測されている。しかしそれを実証した者は、大昔の七賢者の一人である者だけだ。彼は天界を見てきたという」

「てんかい?」

 だいぶ話せるようになったとはいえ、たまにこうして分からない言葉が出てくる。

 オレが分からないという意味をこめてオウム返しすると、トロデは天井を指差した。つられてオレも見上げる。

「神のおわす世界のことだ」

 ぎょっとして顔をトロデに戻した。

「違う、おれの世界、違う」

 慌てて弁解した言葉が、思わず片言になっても仕方ないだろう。それぐらい動揺した。

「ああ。だから言ってはいけない。もし知られれば、研究材料になるぞ」

 研究材料。人とすら思われないということは、とんでもない事態だ。血の気が引くのが分かった。

「どうしよう」

「大丈夫だ。記憶喪失……覚えていないということにすればいい。言葉も分からない、記憶もない。それならばどうしようもあるまい」

 この二ヶ月を思い返して少しほっとした。幸い、オレは言葉や生活習慣などを覚えるのに必死で、故郷の話をしたことは一度もない。もし聞かれていたとしても「とても遠いところ」と答えただろう。しかしもし心に余裕があれば、他の、例えばあれが食べたいとかそういうことは誰かに言っていたかもしれない。

「それで大丈夫ですカ?」

「大丈夫だ。ただもう一つ、大事なことがある」

 もう一つの大事なこと。オレは覚悟を決めて頷き、続きを促した。

「それは、が信じる神様を私たちの神様に合わせることだ」

 トロデは今も噛み砕いてくれることが多々ある。神様に合わせる、つまり信仰を替えるということだろうか。

「えーと、祈る相手。信仰?」

「そう、信仰だ。私達の神様は女性の神。それを女神という。そして一般的に女神正教と呼ばれている」

 それはおそらく、あのプサイの十字架の信仰だろう。二ヶ月近くの生活の中、なぜかオレは強要されなかったが、トーマス先生含めたこの城の人たちの生活の中に色濃く浸透しているのは肌に感じていた。

 そしてよく分からないまでも、教えてもらった礼儀作法の中にひそかにそれが組み込まれていることも知っている。

 特にトーマス先生と食事を取るときは、必ず食事前の祈りらしきものをさせられたものだ。

 トロデはしなかったから、多分王族は信仰に重きを置かないものなんだろう。


 だからトロデがそんなことを言うのは今さらなのだ。

「めがみせいきょう。大丈夫。おれ、神様いませン」

「いない? 信仰がないのか?」

 真面目な顔が一転した。素で驚いたようだ。

「いいえ、おれの世界、信仰あります。でもおれ、祈るしない。なぜならば、おれの国、祈る、祈るしない自由だから」

 トロデ珍しそうにオレの後ろに連なるだろう世界を見た後、そっと囁いた。

「では私達の神に祈ってくれるのだな?」

「はい。祈るが必要ならば」

 そう答えると、トロデは嬉しそうにオレに抱きついてきた。

「よかった。そうか、よかった」

 肩の荷が下りたかのように、トロデは涙を流した。オレは見て見ぬふりをした。ただ心底心配してくれたらしいトロデを抱きしめ返した。




 その会話の数日後、オレはトロデに連れられて、初めて城内の教会に足を運んだ。











2010/06/18




第ニ話:異文化に触れる(6)

 

 その教会は城内の町の一角にあった。

 オレは今まで足を踏み入れたことがない。

 それまで教会に立ち寄る人々を見て興味を持たなかったわけではないし、行かなくてもよいのかと思わなかったわけではない。

 だけど機会がなかった。トロデやトーマス先生やメイドという身の回りの誰もが今はまだ行かなくていいと答えたからだ。

 今になって思えば、オレが言葉を覚えしっかりと理解した上で連れて行くことが予め決められていたのだろう。


 教会でオレとトロデを迎えたのは、見覚えのある神父を筆頭とした幾人かの神官とシスター。

 神父は初日にトロデにオレが体調を崩したときに連れてこられた人だ。プサイの十字架も相成って凝視してしまったからよく覚えている。


 そこではただいくつかの問いかけに答えただけだ。

 いわく、どこから来たのか――トロデに言われた通り記憶がないと答えた。

 いわく、自分の信仰を覚えていないのか――もちろんイエスと答えた。


 ――そうしたら洗礼式だ。


 女神正教と呼ばれる宗教は、この国で一番信仰されているのだろうというのが、ここ二ヶ月の生活でオレが感じたことだ。

 郷に入っては郷に従え。

 その信仰がこの国で暮らしているものにとって生活に浸透しているくらい当たり前なら、オレも信仰していないと不自然だろう。同じ宗教者の中に異教徒が混ざることの恐ろしさは、向こうの血生臭い歴史から学んでいる。

 それにオレは無宗教だ。多くの日本人がそうであるように、クリスマスの後、正月に神社へ初詣に行くことに、なんの抵抗も覚えない。



 オレが洗礼式を受けると決まってから、数日と置かずしてスベッラなんとかとかいう歴史を感じさせる大聖堂に連れて行かれた。大聖堂の遥か向こうには巨人のスプーンでくりぬかれたような大地の塊が、僅かに接した地面との絶妙なバランスで支えられているという不思議な光景。

 教会の屋根の上にはプサイの十字架。

 大聖堂の敷地の広さはかなりの規模で、もしかしたらこの信仰は世界で一番広まっているものかもしれないと検討をつける。


 大聖堂の中も、何百人どころか何千人もの信者が収納できそうな、鮮やかなステンドガラスの美しい礼拝堂だった。ステンドガラスだけでなく、特殊な壁なのか、日の光が礼拝堂を明るく照らしているため、部屋の中だと言うのにまるで外にいるかのように明るい。

 左右対称の礼拝堂にところどころ置かれている像は、耳がエルフのように尖った女性の白亜の天使像で、ここにも天使という概念があるんだと思うと不思議な親近感が沸いた。

「それは神の御遣いである神鳥を人の姿に模した像ですよ」

 像に見入っていたオレに、今回の引率者であるトーマス先生が説明してくれた。

 トーマス先生は、最初は何に怯えているのかと言うくらいおどおどしていたが、しばらく過ごすうちにその雰囲気は消え、二ヶ月経った今では、何か憑き物が落ちたようなすっきりした顔で笑うようになった。

 信仰に明るい彼の言葉を疑いはしない。ただ天使でなく神鳥を擬人化しているということに少し驚いた。

「レティスを?」

 忘れるはずがない。ラーミアではなかったが、ドラクエに巨大な鳥。しかももしかしたらオレがこの世界に来ることになったあの鳥かもしれないのだから。

「ええ、その神鳥です」

「レティス、女性ですカ?」

 レティスを模したという像は、女性の姿だ。

 そしてオレが見たあの巨大な鳥もまた母親……メスだった。

「ええ、女神様にお仕えする方ですから女性であると言われています」

「……レティス、夫いる?」

「ぶっ! レティスにですか? まさか!」

 ぎょっとして見られた。よっぽどおかしな質問だったんだろう。レティスの赤ちゃんらしい光を見ているオレとしては当然の疑問だったんだけど。

「卵つくるない?」

「えーと、まあ女性という点では可能かもしれませんが、そういう話は聞いたことがないです」

「そうなんだ」

 あの絵本の巨大な姿だけでなく、レティスがメスということも知って、もしかしたらという思いが強くなったんだけれど、子どもはいないらしい。

 レティスを見たことあるかという質問にも、トーマス先生はノーと答えた。

 レティスが最後に見られたのは数百年も前の七賢者の時代だという。

 数百年。彼の話し振りからすべてが本当のことだと思っていたが、今の話を聞くところ、全てを鵜呑みにしてはいけないのだろうという印象を受け取った。どこまでが本当かは分からない。それは向こうの世界の各地に残る神話のように。


 オレはレティスらしき巨大な鳥を見た。

 だけどそれは、オレにとってはつい二ヶ月前のことなのだ。

 それもオレの世界。

 時間のずれなのか、この世界では数百年前。

 トーマス先生いわく、女神正教は世界を救った七賢者の時代に生まれた歴史ある信仰だという。七賢者は言うなれば始祖と言ったところだそうだ。


 それを聞いてひっかかった。その時代に新しく生まれたのなら、それ以前に信仰されていた宗教もあるのではないだろうか。女神正教のほかにも三大宗教のように代表的な信仰があるのかもしれない。

 それは素朴な疑問だった。

 だけど。

「信仰、他にあるますカ?」

 きっと、トーマス先生(女神正教の信者)に聞くべきではなかったんだ。

「他? 他はないですよ」

「……ない?」

「……ええ。正しくは、なくなったと言いますか。……当然ですよね。世界を危機に陥れるような邪教、目が覚めればやめたくなるものでしょう」

 ――正しくは『なくなった』?

「ね?」

 早口に言われた後半の意味を租借するよりも早く、トーマス先生に同意を求められる。

 その表情は柔和な笑みだったが、なぜか背中が冷えるような妙な感じがしたのはオレの気のせいだろうか。

 オレはよく分からないまま、ただ曖昧な笑みだけを返した。



 幸いにもそれはちょうど、儀式準備用の小部屋に着いたところで、オレはそのまま儀式の準備に移った。

 そして儀式が終わると、トロデーンの神父より豪華な紫に金の縁取りの衣装の位の高そうな神父らしき人に、木で出来た小さなロザリオをもらった。






◆◇◆◇◆◇◆◇





 私の失敗は教師をつける、そのときにあった。

 それに気づいたのは二ヶ月後。にようやく信仰について聞くことが出来て、初めて彼を教会に連れて行ったとき。

 神父はの言葉を疑うことなく記憶喪失であること、信仰も忘れていることを信じた。

 それにほっとしたと同時に不思議にも思ったのだ。

 あれほどを疑っていたこやつが、どうしてこんなにあっさりの言葉を信じたのかと。



 が洗礼を受けると決まって、いくつかの慣習を教えることになったのだが、彼はすでにその中のいくつかを知っていた。

 そのときの私の衝撃は図りがたい。

 がそれらを当たり前に受け入れていることが、あまりにも自然すぎた。

 おかげで思わず流しそうになった。危なかった。


 私とて、信仰する者としてが受け入れてくれるのを嬉しく思わないはずはない。

 しかしそれなら今までの、私の苦労は何だというのか。

 の前ではわざわざ祈りを捧げることもせず、信仰の説明どころか話題も避けて、のやりたいようにさせていた。――はずだ。

 それがすでにトーマスや周りの者から見聞きして知っておっただと?



「そこまで怒るない」

「これが怒らずにおられるか!」

 場所はに与えた部屋の中。に事情を聞いているうちに、教会で一度抑えられた怒りがまた沸いてきたのだ。思わず声を荒らげた私を、教会のときと同じように諌めたのは当事者であるだ。

は怒りがわかないのか!」

「世話ニなる。そこのシキタリ倣う当然おもてました。だから怒るナイ」

 落ち着いた声音で答えたは困ったように眉を下げる。

 ……別にを困らせたいのではないのに。

がそうでは、私が怒るわけにいかないではないか……!」

「おれ、信仰より、記憶ナイこと信じてくれタ不思議です」

「それは当然だろう。そもそも別世界から誰かが来ることなどそうあることではない。神父は疑い深いが、がすんなり信仰を受け入れたなら同じ世界のどこかの出身だと思うものだ」

 納得したようにうなづくは、すぐに首をかしげて私を見る。

「……トロデ、なぜ世界違うコト信じまシタ?」

 なるほど、その疑問はもっともだ。

が変な渦から現れた瞬間を見たのでな。それに言葉や顔つきが違うことを考えて。あとは荷袋だな」

 そのどれか一つでも欠けていれば、自分で予測したこととはいえ、すんなり受け入れていたとは到底思えない。

「荷袋……おれノ?」

 驚きと嬉しさを含んだような声でが私を伺い見る。そういえば、に荷袋のことは話していなかったか。

「破裂して燃えたからか半ば消し炭に近いが、大事なものかもしれないので保管している。今まで返さなくて悪かった。後日届けよう。……それはともかく!!」

 の荷袋と聞いて、連想で神父の姿が思い浮かぶ。

 私が私棚に隠しているの荷袋はもとから残っているが、その他のが身に着けていた衣服は、一度神父の手によって捨てられそうになったからだ。神父がの信仰を疑ったのは間違いなく、その衣服がこの辺りでは見たことのないデザインであったことだろう。

 幸いにも、衣服は炭と血で汚れていたので、洗いに行かせる名目で取り返し荷袋と同じように隠してあるが、おかげでまたもや怒りが戻ってきた。

 さすがに大声を出すようなことはしないが、私の表情ではこのマグマのような心情が分かったのだろう。

「トロデ。おれのこと知ってるトロデだけデス。多くノ人知るはダメ。だかラ良い、結果的ニは」

「分かっておる……」

 そう、結果的には疑われることなくすんだのは幸いなのだ。疑われ、予定通りの処置などされていたら、今頃はここにいないのだから。

「おれもいつか話スマす。誰か信用できル人、今はトロデだけ。それでハダメですカ?」

「ダメではない。ダメではないが」


 友人に信用してもらえることは嬉しい。だけどは本当にいいのか。この国のしきたりに従わなければいけないと、自分の気持ちを押し殺しているのではないだろうか。それが私は心配なのだ。


 それから少しして、メイドが午後の茶の準備を始めた。

 もうそんな時間なのかとびっくりする。を連れ出し教会へ行ったのが朝の少し遅い時間。そこで過ごしたのは半刻ほど。それからここに戻ってずっと怒り混じりの愚痴を漏らしていたことになる。

 よくぞは付き合ってくれたものだ。私なら友人とはいえ、そんなことすれば愛想がつきるかもしれん。

「いただきます」

 そう言っては手を合わす。

 それを何気なく見る。はいつも食事や茶の前にそれをする。終わったあとは同じように手を合わし違う言葉を口にする。

 祈りに似ているが、異なるの世界の風習……と思われるもの。

 私が見ていることに気づくと、は合わせた手を一べつして言った。

「『いただきます』は食べルお礼。えーと、肉、野菜、魚。食べ物ニ、おれに食べラレルお礼言いまス。料理人作る、だかラおれ食べるデキる。ありがとうノお礼言いマス。それガ『いただきます』。おれノ世界、おれノ国、おれノ習慣。トロデの前ハ言う大丈夫ですネ?」


 今まで見ていたそれにそんな意味があったのか。

「もちろんだ」

 私がうなづけば、は嬉しそうに顔をほころばせる。

「ありがとう。『いただきます』、みんナには秘密でス」

 他の者にはまだ言えない、私とだけの秘密。それは何となくこそばゆい言葉だ。

 はそれでいいという。


 それならば、それでいいのだろう。

 が私だけを信用して、私だけに故郷の習慣を見せてくれるのなら、私だけはそれを受け入れようではないか。



 友が友らしく暮らせるように。






◆◇◆◇◆◇◆◇





 オレは気づかなかったことだが、どうやらトロデはオレの故郷での習慣を大事にしようとしてくれていたらしい。

 客人として大事にしてくれているとはいえ、そういう気遣いはトロデの優しさだろう。


 そんなトロデにふさわしくなるには、勉強だけでは足りないんじゃないだろうか。

 それは暮らしている中で、周りのオレへの態度から思ったことだ。

 好意的な人も多い中、オレを快く思わず陰口をたたく人、またその感情を隠そうとしない人は、ここでも一定数存在した。


 その、言ってくる人の半分はトロデに関するものだ。

 それは何かある前に危険な遊びは止めさせろ。だとか、王子に畏まって仕事が出来なくなるから町に来させるなとか、そういう類のもの。

 城の一部の人はそういうことを、トロデでなくオレに注意する。

 トロデは成人しているのでそういう訴えも分からないでもない。トロデに直接注意できないのも城の人とトロデの距離上仕方がないとも思う。

 だけど、オレだって強引なトロデを説得することなんて難しい。根気よく数少ない言葉で説得したらしたで、今度は拗ねていじけられる。そうなれば今度はどうして上手く説得できないのかと、その一部の人に咎められる。そう、トロデへの不満は最終的にはオレへの批判になる。



 陰口のもう半分は、そういう批判含めたオレへの悪口だ。そして批判以外は、例えば身分をわきまえろだとか税金の無駄食いだとかそういった類のもの。

 結果的に見ると、彼らの不満のほとんどはオレへ向けたものということになる。

 幸いにもこの国の人は、見る限りトロデ王子という人を好いているようで、オレの危惧していたトロデへの直接的な悪口は今のところ聞かない。

 故郷の世界でそういう陰口に慣れているオレとしては、トロデにさえ被害が及ばないなら自分が何を言われようと構わない。


 ただ気になることは、そのオレへの悪口にはおかしな現象があることだ。

 オレとの距離があればストレートに口にするくせに、面と向かって言う分には何故か言い回しが柔らかく、優しくなる人がいるのだ。

 分かりやすいのは特に感情を顔に出して隠そうとしない人だ。

 あんなに苦々しい顔でオレに近づいて来たのに、いざ近づいた途端どこか戸惑い、その次には柔和になる。

 面と向かうか数歩離れた距離というだけで、そんなに違いが出るのは奇妙なことだ。しかもそのおかしな現象は、日が経つにつれ著しくなってきているように思える。

 ……何だろうか、この現象は。



 オレへの悪口の不思議な現象は濁して、オレにできることをトーマス先生に相談してみた。

 ――ちなみにトーマス先生はトロデにとって信仰の件の失敗の要らしいが、今もなんとかオレの教師でいてくれている。そもそもトロデが彼を教師に選んだのはトーマス先生の実力よりもその勤勉かつ真面目な態度にあり、そしてそれはトーマス先生の信仰心から成ったものだったからだ。


 トロデが侮辱されることはないようなので、もとより肝心な自分の問題。

 二ヶ月経った今も客人扱いでのほほん暮らすのは、日々働いて暮らしている人にとってかなり印象悪いだろう。まあ今更ではあるけれど、これまでは言葉の問題上どうしても強く訴えられなかったことだ。

 よく散歩で行く先の庭園の手入れは庭師に俺の仕事だと拒否され、掃除や洗濯はメイドの仕事だと拒否され、厨房のオレでも出来そうな仕事は下働きの仕事だと拒否され、その他もろもろ断られた。

 よって、今まではひたすら勉強とトロデとの遊びに日々を費やすことになったのだ。

 しかし、言葉を覚えた今、与えてもらってばかりなんていられない。働けるなら働きたい。



様の、王子のご友人という立場上、一般的な職は難しいでしょうね」

 それは何度も仕事を拒否される態度からなんとなく感じ取っていた。客人という立場では働くというのは拒否されるだろう。けれど働きたい。客人ではあるが『トロデーン国民』でもあるのだから。

「おれにデキる仕事ない?」

 トーマス先生はしばらく悩んだあと、口を開いた。

「文官や兵士なら問題なく受け入れてくれると思います」

「本当? どうやってナルンですカ?」

様が文官を目指すのなら今のまま勉学に励めば良いと思います。しかしこの国の王族の傍で働く王城文官になるには難易度の高い試験をパスしなければなりません。記憶喪失の様は今、一から多くのことを習っている段階です。並ならぬ努力と才能をもってしても試験に合格するには最低三年はかかるでしょう」

「三年も?」

「三年というのは、それこそ寝る間も惜しんで勉学に注ぎ込み、かつ才能があった場合です。普通なら十年はかかります」

「十年!? それ遅スギルます!」

「『遅すぎるます』でなく『遅すぎます』です。ええ、それだけ時間がかかるんです。私だって幼い頃から猛勉強して合格したのは二十代後半を過ぎてからですから」

 そんなに大変なのか。さすが王族に仕えるだけある。

「文官でない道を行くのであれば、兵士ですね。近衛兵であれば、王族を守る盾として傍に仕えられますから。それこそ文官よりも近い位置にあるでしょう」

「近衛兵なるニハどうスレバいいですか?」

「こちらも試験があります。そのため先に兵士になり腕を磨くことが多いです」

「兵士……か。兵士は剣デ戦争スルこと仕事でスね?」

「戦争!? とんでもない! 有事であれば相手国と戦うことが仕事ですが、そうでないなら相手にするのは魔物です。魔物と戦い民衆を守ります」

 慌てて捲くし立てられた。言葉の覚え間違いのせいで誤解が生じたようだ。「戦争」と「戦う」はまた少し違う単語だった。

 ところでこの国は、少なくとも今は人同士の戦争をしてないし、する予定もないらしい。戦争のない国で育ったオレとしてはラッキーなことだ。


 それはともかく。

「兵士、おれでもナレる?」

「ええ、トロデーン王国の住民で十五歳以上、剣技のスキルがあれば希望すればなれます。最初は見習いですけどね」

 すきる? 文脈からして技術という意味だろうか?

「近衛兵ニも条件あリマすか?」

「はい、試験も必要ですが条件もあります。剣技スキルだけでなく遠距離武器スキル、そして攻撃魔法も使えることが条件になります」

 攻撃魔法!

「おれ、魔法使エますか?」

 欠陥品かもしれないと言われたが、それでも可能性があるなら知りたい。トーマス先生はすぐに頷いた。


「手続きすれば調べれますから調べましょうか? あと剣技スキル、遠距離武器スキルも」

「お願いシます!」



 まず兵士の絶対条件があるかどうか知るために「すきる」を調べてくれることになった。

 スキルというのは、その人だけに備わっている、育てることの出来る技術だそうだ。

 スキルは心の在り方を表す「心」という一つのスキルと、体の技術を現す、一つから四つの「身」というスキルによって成るという。

 スキル見の能力を持つ人に会得することの出来るスキルを見てもらうのだ。

 その能力を持つ人はトロデーン兵ではあるが、看護兵と同じく特殊な兵にあたり、城内の勤務が主らしい。

 トーマス先生が手続きをしてくれて、さっそくその日に会えることになった。



 そして調べてもらった結果。

 オレに備わっているスキルは「剣」「短剣」「二刀」「格闘」の四つの身スキルと「しつじつ」という心スキル。合わせて五つ。つまり今までで確認された最多のスキル数と同じだということになる。

 問題は、どう見積もっても近距離型択一ということか。短剣は飛び道具のほうでないので遠距離には使えないのだ。

 結論。オレには兵士になる最低条件の「剣」の身スキルはあるが、近衛兵になるための「遠距離武器」の身スキルはない。


 結果にしょんぼりするオレに、スキルを調べてくれた人が淡々と説明してくれたことには、オレの「しつじつ」は「質素で誠実なこと」という意味合いらしい。つまり「質実」だろう。質実であれと言われても、あまりぴんと来ないが、大体の人が最初はそういうものらしい。

 心スキルは、その人の心の在り方に依存する。

 心というものは変化するものだ。

 だから、環境や何かがきっかけで心スキルが下がることも成長しなくなることもよくあるという。

 逆に言えば、環境や何かのきっかけで著しく成長することもあるということだ。



 それに比べ身スキルは鍛錬によって成長していく。

 心のような外的影響は受けないので、鍛錬すればするほど成長するし、サボれば成長しない。

 また身スキルは「かごレベル」というものと密接な関わりがあるらしい。「かごレベル」は兵士が魔物と戦う際に神父から与えてもらう能力とのことだそうだが、話がスキル見の人の専門外になるせいか、かなり大雑把な説明で終わってしまった。



 スキルを成長させるかさせないかで、その成果は如実に現れる。成長すれば、独自の技が使えるようになるらしい。

 だからこそ自分に合ったスキルを成長させるのだ。

 ここで、もしオレが身スキルのない「槍」を鍛錬したとしよう。

 それなりに扱えるようにはなるだろう。だけど技は覚えられないし、スキルを持っている者と比べれば大人と赤子ほどに熟練度が違ってくる。

 そりゃ、スキルのあるほうを鍛えるに決まっている。



 また、スキル見とは別にスキルの成長ぶりを見る能力を持つ人もいる。

 その人にオレのスキルの成長ぶりを見てもらったところ、全てゼロ。つまり全く成長していないらしい。

 まあ調べてもらう前からそうだろうとは思っていた。

 心スキルなんて「質実」だ。今のオレの生活のどこが質素か。誠実か。正直マイナスを危惧していたけれど、マイナスはないらしいので、それは安心だ。

 とにかく、これで兵士になる条件「剣」スキルだけはあると分かった。



 次に魔法だ。こちらも同じ日に見てもらえることになった。

 そして調べてもらったところ、魔力はかなり多いということだ。

 どのくらい多いのかというと、今の近衛兵の平均を1とするとオレは2〜3。つまり二倍から三倍。

 「かごレベル」というものをほどこしていない段階でその数字はかなり異例だという。



 次に使えることのできる属性を計ってもらった。

 属性は大まかに分けて攻撃系・補助系・回復系・その他の四種類があるそうだ。

 最初の三つはドラクエで該当するだろう魔法が思い浮かぶが、最後の「その他」って何だ。そんなオレの疑問をよそに、水晶のような透明な石に手を当てさせられ計測された。冷たい石の感触がじんわりとした温かみになる。……どういう仕組みだこれ。

 属性を調べるときはまずその属性が「ある」「ない」に分けられるそうだ。そして次に「ある」とされた属性のレベルを計る。

 オレは四つの属性、すべてに「ある」という結果が出た。

 さらに「ある」属性のレベルが計られた。数値は攻撃1、補助3、回復1、その他7

 ……ここでまた「その他」が気になる。一番目に多いって何だ。

 属性を計ってくれた人もオレの結果に驚いたらしく、首をかしげながら「その他」について説明してくれた。  

 いわく、剣技などで使えるいくつかの特技の中で特殊なものは、この「その他」がないと覚えられないものが多いらしい。

 例えばかえん斬りだとかいなづま斬りだとかそういう魔法を組み合わせたような系統の特技だ。

 ドラクエ知識上そういう特技にMPは必要ないはずだ。

 気になったので、その特技というものがMPを使うのか聞くと、普通の魔法が自分の中の魔力を使って発動するのに対し、そういう特技は周りの大気にある魔力を使って発動するという。

 だから自身の魔力はなくても大丈夫だが、属性の「その他」がない人が特技を使えること――つまり周りの魔力を収集すること――はないんだと。


 さらにいうと「その他」属性がある人の数は多いが、特技に関連すること以外は謎で未知数らしい。

 まだ多くの謎が残っているため属性名をつけるでもなく「その他」と呼ばれている。

 この属性がある人でもほとんどが1〜2の数値らしく、オレみたいに7なんてレベル数が「その他」が占める人は今まで滅多にいないらしい。

 そのため現在その他属性は、特技を覚えるかどうかの目安にしかならず、魔法という面ではそれ以外の三つを見ることになる。

 その数値が攻撃1、補助系3、回復系1。

 オレが楽しみにしていた攻撃が1。0よりはマシだ。でも1……。

 属性のレベルについて説明を聞いて、オレはなおさらダメージを受けた。ひどい。あんまりだ。オレはこの先メラゾーマもべギラゴンもイオナズンもバギクロスも使うことはできない……。

 それぞれの属性のレベル数値の目安はこうだ。



 攻撃1……初歩である攻撃魔法が使えるようになる。覚えるレベルは初期魔法のみ。生活に使えるレベルから攻撃魔法に使えるレベルと、個人により能力差がある。 魔力量やかごレベル、努力しだいではかなりの威力まで伸ばすことができる。

 攻撃2……中級魔法が使えるようになる。魔力量やかごレベル、努力しだいではかなりの威力まで伸ばすことができる。個人による能力差あり。

 攻撃3……上級魔法が使えるようになる。魔力量やかごレベル、努力しだいではかなりの威力まで伸ばすことができる。個人による能力差あり。

 攻撃4……スキルを上達しなくても二つ以上の複数の攻撃魔法を操ることができるようになる。魔力量やかごレベル、努力しだいではかなりの威力まで伸ばすことができる。個人による能力差あり。

 攻撃5……スキルを上達しなくてもあらゆる攻撃魔法を操ることができるようになる。魔力量やかごレベル、努力しだいではかなりの威力まで伸ばすことができる。個人による能力差あり。


 補助1……初期補助魔法を覚えることができる。スカラ、ルカニ、ラリホー、メダパニ、マホトラなど。個体魔法のみ 。またスキルで覚える可能性がある。

 補助2……グループ補助魔法が使えるようになる。 スクルト、ルカナン、ラリホーマなど。またスキルで覚える可能性がある。

 補助3……全体補助魔法が使えるようになる。ピオリム、フバーハ、ルーラ、リレミト、トヘロスなど。またスキルで覚える可能性がある。


 回復1……初歩である回復魔法が使えるようになる。覚えるレベルは個体魔法のみ。ホイミ、キアリーなど。個人により能力差がある。またスキルで覚える可能性がある。

 回復2……中級回復魔法が使えるようになる。ベホイミなど。魔力量やかごレベル、努力しだいではかなりの威力まで伸ばすことができる。個人により能力差がある。またスキルで覚える可能性がある。

 回復3……上級回復魔法が使えるようになる。ベホマなど。魔力量やかごレベル、努力しだいではかなりの威力まで伸ばすことができる。個人により能力差がある。またスキルで覚える可能性がある。

 回復4……中級全体回復魔法が使えるようになる。ベホマラー、キアリク。魔力量やかごレベル、努力しだいではかなりの威力まで伸ばすことができる。個人により能力差がある。またスキルで覚える可能性がある。

 回復5……上級全体魔法が使えるようになる。ベホマズンなど。魔力量やかごレベル、努力しだいではかなりの威力まで伸ばすことができる。個人により能力差がある。またスキルで覚える可能性がある。


 その他1……スキルにおいて特殊な特技を身に着けることができる。個人により能力差がある。

 その他2……スキルにおいて周囲の魔力と自分の魔力を融合させて行う、より高度な特殊な特技を身につけることができる。個人により能力差がある。

 その他3以上……幻のレベル。謎。



 オレは攻撃1レベルだから、初歩の攻撃魔法が使えるようになるということだ。 魔力量やかごレベルで変わるとはいえ、所詮レベル1。せめて2であれば希望も見えるが、レベル1。オレの魔力はとんでもなく多いらしいし、かごレベルはともかく「努力しだい」というのは勉学に励んで見解を深めればいいというから、こうなったら「今のはメラゾーマではない、メラだ」を目指せばいいのか!?

 さらに回復のレベルも低い。残念だが、ホイミくらいは使えるようになる。と、回復は割り切れる。

 補助はレベル3だから、ルーラやリレミトが使えるようになるかもしれないと思うと楽しみだ。その他は……まあかえん斬りが使えるらしいことは確かなので、数値は気にしないようにしよう。


 そして、オレは近衛兵にこそなれないが、近衛兵の一つ下のランクにならなれる可能性があるらしい。

 そのランクになる資格は遠距離武器スキルか攻撃魔法の属性のどちらかがあること。

 オレには攻撃魔法の素質があった。だからなることができる。

 遠距離武器スキルや攻撃魔法は王族警備の都合上、近衛兵には絶対不可欠のものだという。

 それは例えば強敵を前に近衛兵最後の一人になったとしても、守るべき王族を背後に庇いながら遠距離から攻撃するすべが必要だからだ。

 そしてオレにはそのすべがあるんだ。



 ――攻撃魔法が使えることに浮かれていたオレはすっかり忘れていた。

 さらに準近衛兵になることができるというのもそれに拍車をかけていた。



 オレの魔力は“欠陥品”なのだ。



「欠陥品というのは、先日も言ったとおり、諸刃の剣なのだ。普段から制御ができないということは、それだけ危険をはらむことになる」

 喜び勇んでスキルと魔法属性について報告したオレの喜びを「欠陥品」という言葉が重くのしかかる。

 トロデはオレの表情が変わったことに気づいたのか、慌てた様子で早口で言葉を重ねた。

。お前には気の毒だが、これは仕方ないことなのだ。お前が絶妙のタイミングで攻撃魔法を使ったとき、上手く作用しなかったらどうなると思う? もしそれが不発であったらチャンスをふいにして身を危険に晒すかもしれない。またもしそれが暴走してしまったら、止まらぬ限り、やはり自らを滅ぼすことになるだろう」

 もしも攻撃魔法を使ったとき。そう言われ、オレは自然、トロデを背にかばう場面を思い浮かべる。

 それは不発、暴走のどちらにしろ最悪の結果で。

 ……そんなことあっていいはずがない。


 じゃあ、オレは近衛兵には一生なることができない? ……いや、そんな魔力なら、なれなくていい。

 万が一攻撃魔法を使うことで、守りたい王族(トロデ)を危険に晒すくらいなら、ならなくていい。



 欠陥品であることと魔力の多さから、オレはしばらく魔力のコントロールの修練を中心にすごすことになった。

 そりゃそうだ。オレは爆弾を抱えているようなもの。

 魔力なんて静電気のようなものとしか捉えられていないオレにとって、自分の内の魔力とは未知の爆弾だ。


 魔力のコントロールを習う相手は攻撃主体の特殊兵である『魔法兵』だ。

 本来ならば魔力の扱いは成長とともに覚えるもので、覚えるのが苦手な者は両親など家族や教会の神父に習うそうだ。

 だけど、オレの魔力の特性は危険と隣り合わせなため、一般人が教えるのは危険を伴う。

 そこで魔法のプロフェショナルである兵士に魔力のコントロールについて習うのだが、兵士が武力の知識を一般人に教えるのは禁止されているらしい。

 そのためオレは半ば強制的に兵士になることになった。元からなるつもりだったから問題はない。



 言葉を覚え、ようやくスタートラインに立てたオレが所属することになったのは、最初に名前を交換し合った兵士長、アランの部隊。オレとしては知っている人の部隊で嬉しいかぎりだ。

 そこに魔力のコントロールが得意な特殊兵も所属しているらしい。

 特殊兵は特殊兵で部隊になっているのかと思っていたが、そういうわけではないらしい。

 特に看護兵や魔法兵は、戦闘では回復役や攻撃魔法を担うことになるという。ドラクエでいう僧侶や魔法使いのようなものだろう。

 そんな特殊兵の中には、特殊兵に求められる以上の鍛錬をこなして、一般兵以上の戦力を身にした者もいるという。

 まあ、そんな魔法兵がオレの魔法の先生なわけだが。


 そうしてオレの新たな生活が始まった。





 ……あまりの鍛錬の厳しさに、ちょっと後悔したのは秘密だ。






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※スキルについての考え方が変わったため、改訂にあたり夢主のスキルを変更しました。

魔法の属性について
DQ3・6・9のように職業で覚える魔法(特技)が決まっているのでなく個人の才能に左右されるだろうDQ8の世界観から、事前に覚える魔法の傾向とレベルを調べることができるとしました。


2010/07/07
2010/08/20(修正)
修正:夢主の魔法の属性変更のため修正。攻撃魔法も使えることにしました(ただしレベル1の上、暴走する可能性があるため基本使用不可能)

夢主(比較のため)と原作キャラ4人の魔法属性レベルは以下反転
キャラ名:攻撃:補助:回復:その他
夢主:1:3:1:7
エイト:4:3:5:2
ヤンガス:無:2:5:2
ゼシカ:5:3:3:2
ククール:4:3:4:2