【来訪編】

傍観者ではいられない
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第三話:兵士の事情(1)

 

 オレに魔力のコントロールを教えてくれる人がアラン……いやアらんへい士長の隊にいるということで、オレはアらんへい士長の管理する隊に所属することになった。

 アらんへい士長……もう「兵士長」でいいかな。名前と兵士長の組み合わせは言いにくいんだよな。トーマス先生は言いやすかったけれど。

 少しずつではあるが、心の中の言葉もこちらの言葉が混ざりつつある今、固有名詞で発音につまりながら考えるのは正直ストレスが溜まる。

 というわけで「兵士長」だ。

 そんな兵士長は兵隊のリーダーである。

 ここでは、三十名に満たない兵士たちを小隊に束ねるのが「兵士小隊長」。

 百には遠く届かないが、何十隊もあるその小隊を十程度ずつまとめるのが「兵士長」。アらんへい士長は第二隊を受け持っている。

 さらにその兵士長たちをまとめるのが兵士団長だ。

 兵の中には貴族出身者の部隊もある。同じ兵士なのに装備は華やかな騎士を彷彿とさせる装飾のなされた鎧や兜で、兵の中の華と言われているらしいが、「華」と呼ばれる割には男しかいない。

 それは貴族の親が経歴目当てに子息を兵に所属させるからで、貴族は貴族で固まって隊を組むので、女子の兵士は自然と貴族でない隊に所属される。

 オレは貴族ではないけれど、トロデとの関係上そんな貴族隊に配置されるところだったらしい。

 欠陥品でなければ。


 ……まさに今、諸刃の剣を発揮したんじゃないだろうか!

 本当の意味での華がないということもあるが、何よりここの貴族たちは選民意識が高い。

 おそらく、貴族隊に配置されようものなら実力関係なく縦関係で居づらいことになっていただろうと思う。



 詳しい数字は分からないが、異色を放つ貴族隊や兵団に所属しない近衛兵も含めて数千名の兵士がトロデーン兵として働いている。

 数千名の兵士を含むトロデーンの全人口は数万人。

 そのうち半分以上が農民で、農民の多くは城壁のさらに外の町壁に囲まれた場所の町に住み、町壁のさらに外の外壁に囲まれている農地を耕したり、外壁の外にある牧場で家畜を飼って暮らしている。城の中の町に住んでいるのは、王族、貴族、一部の職人に商人。そして近衛兵の家族たちが主体だ。

 とても失礼なことだが、オレは最初の頃、「城の中の町に、全てのトロデーン国民が住んでいる」と思いこんでいたため、城壁の向こうにも住んでいる人がいると知ったときは本当に驚いた。

 ここには生活している人がいて、生きるために必要な作物を作る人がいる。それは生きている以上当たり前のことだ。だけどドラクエの世界に来たことを受け入れた今もまだ、間抜けな勘違いをしていることがたまにある。

 まあ、今回オレが勘違いした理由の一つ、城壁内から外の町がほとんど見えないのは、この城がちょっとした高所にあるからなのだそうだ。

 さすがに見張り台の上からは町が見えるらしいが、景色を見るどころじゃなかったオレは覚えていない……。



 そんな兵士たちの中で、兵士長の指揮する隊は精鋭隊とも言われているらしく、少人数で何かをするときは必ずと言っていいほど兵士長の隊の小隊から駆り出されるという。

 そのためか、トロデが気に入ってよく手合わせに行く隊だ。

 ……「魔力のコントロールが上手い魔法兵がいるから」という理由で配属されたはずだが、トロデに縁が深い隊となると、これがはたして偶然か、それとも故意か判断しにくいところだ。



 兵士見習いになったオレは、兵士たちと同じ寮で寝泊りすることになった。もちろんオレの希望でもある。

 トロデには思いっきり反対されたけれど、そこは何とか押し通した。主に説得に協力的だったのは大臣含めた重鎮の皆さんだ。

 入れ歯が吹っ飛ぶほどの勢いで(比喩でなく実際吹き飛ぶのを見た)、いかに兵士となったオレが客室を使うことがおこごましいことか力説してくれた。綺麗な言葉遣いではあるけれど遠まわしに本人を目の前にして言われる陰口だ。

 オレを目の前にすると口調は柔らかくなるあの不思議な現象は相変わらず健在だが、はたして直球で言われるのと変化球で言われるのとどちらがマシかと問われれば、……どちらもそう変わらない気がする。



 そうしてなんとか兵舎暮らしが認められたオレは、身の回りの荷を整理して兵舎に運ぶことになった。

 広く豪華な客室にはあらゆるものが揃っていたため、オレの私物は少ない。

 勉強に使っていたペンとインク。一般人が着る服二着(一組は今着ているので実際は一着だ)。下着が何枚か。今まで書きとめたオレ特製の辞書やドラクエメモや記録。トーマス先生にもらった幾冊かの本。そしてトロデに返してもらったオレの荷物を入れた箱だけだ。あとは全て借り物ばかり。

 おかげで全てオレの両腕の中に納まってしまった。

 布地もデザインもオレには不似合いな豪華な服はオレのサイズで作られたものだったが、汗水流して鍛錬する兵士にそんな衣装は不要。……とはいえ、正装が必要なときもあるだろうからと捨てずに置いてもらうことになった。


 二ヶ月という長いようで瞬く間にすぎた時間過ごしてきたオレの部屋。密度の濃い思い出がここにはある。

 オレは一度だけ振り返り、まだオレがいた名残のある部屋を目に焼き付けた。




 兵士は兵士長ごとに兵舎の棟が変わる。

 兵舎の中では二階以上の部屋が一般兵たちの大部屋、最上階が兵士小隊長たちの部屋(一般兵と違って二人部屋だそうだ)と兵士長の個室と会議室、そして一階に見習い兵士こと新兵たちの大部屋(部屋の大きさは同じだが一般兵よりベッド数が多い)と食堂、風呂、武器兼私物倉庫、多目的広間など生活空間があり、トイレは各階にそれぞれいくつかずつ取り付けられている。

 部屋割りはそれぞれの兵士小隊長ごとにくくられ分けられているが、一階の見習い兵の大部屋だけは大体十名に満たないという人数の関係上ベッドに空きがある場合があり、そういうベッドは二階以上上の自部屋まで戻るのが面倒な先輩兵士たちが仮眠ベッドとして使うこともあるらしい。

 また、兵士長の上の兵士団長、団長補佐である兵士副団長、近衛兵の部屋は城の中にあるという。

 位置的には一般兵と同じくトロデーン正門から入って右に位置するが、城の中と外では大分重要性が違う。

 王族に何かあったときにはすぐ駆けつけられるよう、近衛兵だけでなく一般兵を束ねる兵士団長にも城内に部屋を構えられている。部屋だけでなく生活空間も城の中だ。


 親切にもオレにそんな説明をしながら寮内を案内してくれたのは、オレの魔力の先生になる魔法兵と同じ小隊の、さらに同じチームの一人、ノットさんだ。

 魔法兵で攻撃魔法だけでなく剣の腕も上げた、オレの先生になる壮年の兵士ルカさん、遠距離武器と補助を得意とし初級回復魔法も使えるノットさんは普段からペアになって行動しているらしいが、本当に少人数の精鋭で何かをするときは、この二人にさらに近距離型で回復魔法も使える兵士長の加わった三人で行くそうだ。

 兵士長になってからハメを外せなくなった兵士長は、そんなときは張り切って任務に取り掛かるらしい。

 そんなことを笑いながら話してくれるノットさんに、オレは内心冷や汗をかきながら笑みを返す。

 二人のときも三人のときもバランスのよい彼らにお荷物のオレが混じる。……本当にいいのかこの組み合わせ。




 見習い兵が過ごす部屋に着いて、部屋を見回す。今は誰もいない、がらんとした大部屋の、ある一台のベッドの上に衣服や武具が置かれている。

「あ、届いているね。あそこが君のベッドだよ」

 ベッドの上にあるそれ。ひとつはノットさんも着ている兵士の服と鎧だ。

「これは?」

 先にベッドの傍の鍵付荷物棚に私物を入れて服を手に取ってみた。思ったよりも丈夫そうな厚い生地だ。

「見習い兵に支給されるものだよ。寸法は以前採ったもので作らせてもらった」

 飾りが過多な貴族隊も近衛兵も含めてデザインは一目でトロデーン兵と分かる共通点がある。

 見習い兵士の服はその誰よりもシンプルだ。ベルトと服の装飾が全くないのだ。

 後は兵士用らしいブーツ、寝着らしき服、鈍く光る銀色の剣、シンプルな小剣、皮張りの盾、各用途別の石鹸、手触りのいいバスタオルとタオルが数枚ずつ、その他もろもろ生活物資。そして丈夫そうな背負い用の布ベルトが二本つけられた真新しい麻袋。

「この袋は?」

「三十袋だよ」

「……三十袋?」

「ああ。なんとそれも支給されるんだ。なかなか太っ腹だろう? 袋の形状は王子殿下が選ばれた」

「トロデが?」

 太っ腹も何も三十袋というものがどういうものなのか分からないが、ノットさんが感心している袋に目を落とした。

 よく見ると、重さのかかる肩の部分のベルトをさらに覆う形で、柔らかな綿のようなものが詰められた布地が覆われている。

 それはどことなく、オレが持っていたはずのリュックサックのつくりを彷彿とさせた。

「三十袋に入れると重さも軽くなるけど、重いものだとそれ相応の重量になるんだ。でも重量の負担を左右の肩に分けることで、負担を軽減される。武器を背負う奴らは使えないが、なかなか面白い発想だよな。君の私物から知恵を得たんだって王子殿下が仰っていたそうだよ」

 その言葉に、持ってきた荷物にまぎれている、オレの向こうの世界からの私物箱をちらりと見る。

 トロデから受け取った、故郷から一緒に来た私物はどれもガラクタ同然となっている。その中で一番被害がひどいのは携帯電話などの電子機器で、それはもう見事なほどにバラバラになっていた。

 一番原型を留めていたのはリュックと服だが、それでもそれらをまったく知らない者には原型をはかるのは難しいくらいズタボロだ。せいぜい服と袋と分かる程度。

 それなのに、トロデはそれらから原型を推測して作ってくれたらしい。

 リュックを愛用していたオレとしては、確かにどんな形の鞄よりもしっくりくる。

「あの、それで三十袋ってナンですか?」

「え……ああ、そうか知らないのか。「三十袋」と言うのは、三十個までならどんなものでも入る袋だ」

「……どんなモノでモ?」

 そういえば、さっきノットさんが「三十袋に入れると重さも軽くなる」と言ってた。だけど「どんなものでも」なんて怪しさ満点。とてもじゃないが鵜呑みにできない。

 顔には出さないようにしたんだけど、オレの態度から何か感じ取ったのか、ノットさんはどこか複雑そうな顔で頭をかきながら説明してくれる。

「袋の口の大きさによって限られては来るが、普段使わないが持ち歩きたい、といった愛用の武器も出し入れが可能だ」

「武器、ですカ」

 ここにある支給された兵士の剣でも一メートルはあるだろう。……まあこれはないとして、小剣を見る。小剣と言っても三十センチはあるが、これなら何とか入るだろうか。

「槍でも入るぞ」

「槍!?」

 思わず叫んだ。この城で見慣れた槍は、どう見積もっても二メートルはある。そんなものが入るとなれば、もうそれはマジックだ。以前テレビで見た有名マジシャンのマジックショーが頭をよぎる。

 オレが驚いているというのに、ノットさんはさっきまでのどこか不機嫌にも見えた複雑そうな表情を一転して笑顔を見せた。

「そういう反応を待っていたんだ。だけど本当に何も知らないんだな。十袋や二十袋なら少し値は張るが、町でも手に入るものだぞ」

「あの、どうイウ仕組みなんでスカ? どうして袋の大きさヨリ大きなものが入るンですカ?」

「よく分からないが仕組みは魔珠に詳しい錬金術師に聞かないと分からないぞ。だが魔珠で作れば、このくらいできるもんだろう」

 また魔珠だ。この数ヶ月で何度も聞いた。

 それらが魔物から取れることは知った。

 魔物によって取れる魔珠の質が異なり、それによって、あるいは地域や需要によって取引値段が変わってくることも知った。

 そんな魔珠は錬金術師によって加工されたり、魔珠を一緒に使うことで道具を改良できるという。

 今は、このトロデーンで発明された錬金釜というものがあり、それを使うことで素人でもある程度の道具や武具なら改良ができることも、トロデが実際に見せてくれたことで知っている。

 知っているものとは少し違う形の薬草を、一つ上の性能の上薬草に変えるのをこの目で見た。

 そんな素晴らしい道具である錬金釜を作る金属としても、これまた魔珠が使われているのだ。

 とにかく便利グッズらしい魔珠は、オレにとって一番不思議で未知のものだ。

「……マタマって何なんデスか?」

「簡単に言うと魔力の結晶だな。トーマスさんに習わなかったのか?」

「習いましたケド、まさかコンナスごいものまでできるナンて知りませんでしタ。しかもそれヲ無料で支給なんて……」

「トロデーンは太っ腹だからな。高価にはなるが、九十九袋もあるぞ」

 それはすごい!

「じゃ、じゃあ何でも無限に入ル袋はないンですか?」

 期待を込めて聞いてみたが、ノットさんから返ってきたのは否定の言葉。

「無限袋か。研究はされているみたいだけど、ないな。あったら九十九袋は必要ない。今は代用として、九十九袋の中に複数の九十九袋を入れて使っている。ただし使い勝手はあまりよくないけど」

 なるほどそういう使い方もあるのかと関心する傍ら、大きな袋が存在しないのは残念だった。



 三十袋の説明に時間をかけさせてしまったが、引越しの片付けはすぐに終わった。

 ベッド付属の棚以外にも個人個人の収納棚のある部屋――要するにロッカ室ーのようなものだ――があり、そこにも案内された。ノットさんの助言に従い、生活用品はロッカーに入れる。本来は装備をするべき武具防具はさっそくとばかりに三十袋に入れた。

 本当に剣すらリュックの中に入ったため、オレは驚きと興奮に、何度も出し入れを繰り返してノットさんを呆れさせることになった。





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三十袋・九十九袋など
改訂前は無限袋である「ふくろ」のみですが、改訂後では他にも劣化バージョンとも言えるべきものを増やしました。
それは中盤の某鏡イベントで、が肩掛けかばんから某鏡を出すという、突っ込みどころ満載なイベントの存在を思い出したからです。
……明らかに内容量超えてますよね、のかばん。
あれが「ふくろ」まで行かなくてもある程度なんでも入るかばんなら、納得がいくってもんです。

ちなみにDQ8に出てくる道具は余裕で100以上種類がありましたので九十九袋では足りません。
そもそも九十九「種」でなく九十九「個」しか入らないので、「ふくろ」と同じにするには、
九十九袋を九十九個、その九十九袋の中に入れたものをいくつも用意する必要があります。

2010/11/09




第三話:兵士の事情(2)

 

 三十袋に対する興奮の収まったオレを連れて兵舎の廊下を歩きながらノットさんが言った。

「一通り見て回ったけど、どうだい? ここで君は新しい暮らしをすることになる。今までのように遊んで暮らす、なんてことは出来ないがやっていけそうか?」

 ……遊んで暮らしていたつもりはないんだけど、そう思われていたのか。まったく接触のないノットさんにこう思われているということは、そういう噂でも流れていたのだろうか。

 他にも同じように思っている人たちばかりなんじゃないだろうか。オレは胃に重い何かが圧し掛かるような不快感を覚えた。

 ――いや、少なくともトロデはオレの努力を知ってくれている。他にも何人か味方はいる。

 だからオレは今までやってこれたんだ。これからだってその数少ない味方を信じてやっていけばいいんだ。

 よし、とオレは心の中で拳をにぎった。

「はイ。この国の人――特にトロデにハずい分お世話にナったので、何カお返しヲシたいんです」

「……いい心がけだね? ……うん、当然なんだけど少しびっくりした」

「何ニですカ?」

 そういう答えを望んでいただろうと思っていたんだけど、ノットさんの反応はどうにも煮え切らない。

「いやこっちの話。ところで、君の今までの一日の流れはどうだったんだい」

 話を変えられたことは気になったけど、恐らく答えてもらえないだろう。

 ノットさんの質問、一日の流れについてだが、オレがこの世界に来て数ヶ月経った今、一日のスケジュールはほぼ安定していると言っていい。

 言い換えれば、ほとんど代わり映えない日常だということだ。向こうでいうところの月曜から土曜が学校で日曜だけ休みという、ほぼ勉強尽くしの一日だ。日曜……というより安息日と言ったほうが正しいか。その日は勉強が休みだ。信仰に厚いトーマス先生の意向で。

 ちなみに一週間は向こうと同じ七日なんだけど、天地創造が七日だったのかということではなく、七賢者から由来しているらしい。七賢者の前の時代はどうだったんだ、なんていう他の信仰をほのめかす疑問は、前回学習したので心の中に閉まっている。

「えー、起きテ予習をしたアト朝食。午前チュウはトーマス先生の授業を受けテ、昼食のアトさらに午後の授業を受けまス。そのアトは夕食までトロデと一緒に過ごシマす。夕食ゴは所用を済マせて復習をしテ就寝しまス。安息日以外は同じヨウな毎日でス」

「……なるほど、ずいぶん勉強尽くしの一日だったんだね。……遊んだりはしなかったのか?」

「はイ。あ、でもトロデと過ごすトキは大概遊んでいマスヨ」

 その大半は悪戯や城内冒険といった体を動かすものばかりだけど。

「それは遊びというより……まあいい。それより。王子殿下の呼び名だが、今までは王子殿下の希望で敬称無しだったそうだが、兵士である時には必ず敬称をつけ敬語も忘れないように」

 指摘されて気づいた。ふとした時に呼び捨てということが気になるが、呼び捨てで呼ぶことに慣れすぎて違和感を覚えなくなっていた。オレは慌てて頭を下げた。

「すみまセん! トろでおウ子でん下でした!」

「待て。今のはまさかトロデ王子殿下と言ったのか?」

 ぎょっとしたような声でそう聞かれた。まさしくそのつもりだったんだけど。

「発音がひどすぎるぞ」

「……トろでおーゥじ殿か?」

 発音を頭で反復して口に出したが、ノットさんはやはり首を横に振った。

「ますますひどいな」

「……王じでん下」

「王子殿下も駄目なのか」

 繋げた名前だから言いにくいんだと「トロデ」を省略してみたが、まだ駄目らしい。

「……王子?」

 ノットさんは呆れたような目でオレを見ながら沈黙した。うーんとうなる声が聞こえた。

「……まともに呼べないよりマシだな。今度から王子殿下に兵士として会うときはそう呼べよ」

「はい」

 どれだけ発音が悪いんだ。そう思いながらも頷いておく。まだ自分の耳では発音の違いすら分からないのだ。

 普段は王子でいいとしても、ちゃんとした時に「王子」だけでは駄目だろう。しっかり練習しようと誓ったときだった。



「それで一日中勉強してるって?」

 呆れた目から一転、同情の目を向けられた。確かに勉強尽くしではあるけれど、きちんと週に一度は休みがある。

 そもそも向こうの学生生活とほとんど変わりなかったから全く気にならなかったんだけど、ノットさんにとってはそうでもないらしい。

「まさかと思うが起床時間はすでに日の出前だったりするのか?」

「ハい」

 それは元々の習慣ではないんだけど寝る時間が早いものだから、睡眠時間が少なくてすむ自分では、どうしても日の出前になるんだよな。

「……復習はいつくらいまで起きてやってるんだ」

「大体"まんゲつ"の少シ前まデデす」

 まんげつとは零時を指している。しかし未だにこの言い方は慣れない。

 こちらにも時計に似たものはある。城のいたるところにあるそれは、オレの知っている時計とは全く見た目が違っていたため、最初はただの装飾品だと思っていた。

 それがこの世界における時計だと知ったのは、実は結構最近だ。

 それまでトーマス先生の会話の中に時計に関する単語は出てきていたけれど、まさかそれが時間を表しているとは思わなかったため気づくのに遅れた。

 今までオレは太陽を基準に大体の時間を判断していたし、『日の出前』『正午』など太陽で時間を表す言葉があったことも理由の一つだ。

 こちらの時計は月の満ち欠けで表している。月時計とは違う。一日の時間そのものを月で表しているのだ。

 観覧車のように円状に、新月から新月までの月の満ち欠けが並んでおり、時間が経つごとにゆっくりと回る。

 満ち欠けと言っても実際の満ち欠け全てが並んでいるわけでなく、そのうち十二の満ち欠けに省略されている。

 見方は月の南中時間さえ知っていれば簡単で、一番上に満月が来ることは真夜中零時を表しており、新月が真上に来るのは正午を表している。

 そして呼び方も月の満ち方で分かれており、例えば零時を表すときは『まんげつ』と言い、正午を表すときは『しんげつ』と言う。

 月時計は『しんげつ』から始まり、『ふつかづき』『みかづき』『じょうげんのつき』『とうかあまりのつき』『じゅうさんやづき』『まんげつ』『いまちづき』『ふかまちづき』『かげんのつき』『にじゅうろくや』『つごもり』で終わる。

 何が慣れないって一日の長さは同じように感じても、この呼び方があるために一日の時間が十二単位になっていることだ。

 つまりオレの間隔でいう二時間分が実質一時間。真夜中の一時を表すときは“まんげつの半分くらい”と、かなり大雑把だ。

「…………誰だこいつが遊んで暮らしているって噂したやつ」

「はイ? すみマせん、聞き取れナかったんデスが、何と?」

「いやいい、独り言だ。明日からは兵士として過ごすため日程が変わる。日の出前に起きた後は見習いは朝練だ」

「はイ」

 もとより身についている早起きはまさに日の出前。だけど今までなら朝の空気を吸ってのんびりしたり、たまにメイドについて来てもらって朝の庭園を散歩したり、はたまた起き立てのすっきりした頭で復習したりと、一日で一番ゆったりした時間だったものが、起床後朝錬となるとゆっくりは出来ないだろう。

「新人である君の一日は、起床後は朝の鍛錬、その後朝食。午前の鍛錬の後昼食、午後は今のところ以前通りだ」

 いつも通りというと、トーマス先生の勉強時間になる。だけど、どうしていつも通りなんだろう?

「他ノ見習いの方は午後の時間は何をしテイるのでスカ?」

「鍛錬や各所の掃除、武器の手入れなど雑用をしてるな」

「それナラば、おれもそうしマす」

「しかしだな、王子殿下のお相手は求められている以上しないといけないぞ」

 そこで合点がいった。つまるところ午後の勉強の時間でなくトロデとの時間を確保するためだったのだ。まあ一日で唯一遊んでいた時間だったからそれはありがたいんだけど、優遇と見られることもあるだろう。

「……でハ、トロ…王子と会ウ時間以外を変えまス」

 大体トロデと会うのは"ふつかづき"から"じょうげんのつき"――午後二時から六時までほどだ。その時間は勘弁してもらって、勉強は自主勉で夕食後から真夜中までにする。トーマス先生との授業がほとんどなくなるけれど、さすがに真夜中に付き合ってもらうわけにはいかないから、分からないときだけ聞きに行くようになるだろう。

 結構詰めに詰めたスケジュールだけれど、試験前の学生生活のようなものだ。慣れれば大丈夫だろう。……慣れるまでが大変だろうけど。

「そレデ、同室の人に迷惑がかカラナいよう、勉強には談話室を使いタイのでスが、かまわナイでしょウか」

「……無理をしないと約束するならアラン兵士長に相談するが。というか無理じゃないかなそれは」

「頑張リマす」

「だから頑張りすぎるなと……。君が倒れたら怒られるのは俺たちだぞ」



 結論から言うと、あまりの鍛錬の厳しさにオレの予定は崩れに崩れた。

 一日の流れを聞いて宿舎を出、鍛錬場を通り過ぎ、連れて行かれたのは兵舎の影になる場所で。近づけば近づくほど威勢のいい声が大きくなる。

 何となく必死さというか鬼気迫るものを感じるような……そう思いながら角を曲がる。目に飛び込んで来た光景を見て、オレは固まった。



 それは鍛錬というより、基礎技術の叩き込みという地獄だった。







「そんなにすごかったのかい?」

「ええ、……そりゃア、もウ」

 地獄を体験して来たオレは、疲れと恐怖で辛い体を叱責してトーマス先生の最後の授業に参加した。

 昼食後は他の新人兵と一緒に雑用をしたので、勉強時間はいつもの半分ほどだ。

 仕組みは違うが兵舎にはシャワー室もあって、そこで汗を流した。叩き込みの際に作った傷は全て回復魔法で完治している。魔法すごい! と喜ぶよりも、治らなければ明日はさぼれたかもしれないという気持ちの方が大きかったのが複雑だ。



 今着ているのは一般人、いわゆる平民が着るような服だ。トーマス先生はオレが貴族の服を着ようが平民の服を着ようが、清潔でさえあれば気にしないので楽だ。

 トーマス先生にこれから来れなくなることを伝えると、思った以上に残念がってくれた。分からないことがあったり時間が出来たらまた教えを請いたいことを言うと、快く引き受けてくれた。それに安心する。



 そして今日の地獄について話した彼の感想が上の言葉だ。

 文官であるトーマス先生は、最初から文官だけを目指していたそうで、だからこそ兵士の鍛錬というものがどういうものか知らないらしい。

 大げさに見えるかもしれないほど頷いたオレに、トーマス先生は兵士って大変なんだと眉を寄せて呟いた。……どうして災害を免れたような安堵した顔で十字を切ったんだトーマス先生。

「剣技スキルはあるンですガ、今まで全ク剣を使った経験がないノデ、筋力トレーニングと体の扱い方から始めました」

 ルカさんはオレの魔法の先生でもあるが、普段は兵士長の隊の新人兵の中の、ずぶの素人向けの鍛錬を担当しているらしい。

 見た目は白髪で鼻下とあごのサンタクロースのような立派なひげも真っ白ないかしもおじいさんといった容姿なんだけど、鍛え上げられた筋肉と健康そうな焼けた肌が年齢を感じさせない。例えて言うならマッチョなドラクエ3の男魔法使いだ。

 新人兵の鍛錬場に着いたのは大体九時くらいの時間。そこから三時間連続で細々休憩を入れられながら、全く基礎の無いオレに武術としての体の扱い方を教えてくれた。



 ……教えてくれたっていうか、泣くほど怖かったけど。

 しかもそれは初日だけに留まらずそれから毎日だった。

 初日は三時間ほどだった地獄が、次の日からほぼ一日中になったせいか、しばらくオレの日程の予定通りには到底行かず、談話室でノートを広げても寝落ちしていることが多かった。体力を使い果たしているのか、睡眠時間も普段より多くなり、最初の数日はそれこそ遅刻しそうになったこともあった。

 オレは当初、毎日遊んで暮らしていると思われていたことに憤慨を感じたが、この地獄を体験した今、いくら勉強尽くしだとはいえ、やっぱりオレは遊んでいるも同然だった。

 ルカさんは本当に怖い。

 オレはルカさんに対峙するたび、足がすくむ。ここで死ぬんじゃないかと何度も思う。

 そして毎日吐くほど相手をさせられる。鍛錬の相手を「してもらう」、でなく「させられる」と言ったほうが正しいほど振り回され、鍛錬のたびオレはぼろぼろになる。ぼろぼろになっても回復兵の回復魔法で傷を癒されエンドレス。

 ……これを地獄と言わず何と言う?



 だけど一週間もすれば、体が少し慣れてきたのか恐怖を覚えながらもしっかり地に足をつけられるようになった。

 素人同然の攻撃が空振ってルカさんに背中を見せても、ルカさんの攻撃が来ることが分かるようになった。まあまだ分かるだけで避けられないけど、最初の空振りの多さやどこに相手がいるか分からなくなったという致命的なミスは減ってきた。

 変わらないのは、毎日悪夢を見ること。自分がとんでもない魔物に食い殺される夢だ。一度寝ると滅多なことでは起きれないのが災いして、一晩中悪夢にうなされている。





「今庭園に、きれいな花が咲いているのだ。一緒にそこでお茶を飲まないか?」

 一週間の最後の日、安息日の少し遅い午前の時間にトロデに呼び出された。

 兵士に休みはない、というわけでない。安息日には、必要最低限の人員を除いて兵士にも休みが与えられる。それは当番制で、今週の安息日、オレは非番だ。この日ばかりは地獄の鍛錬も休みで、非番の新人兵は天国のようなこの日にゆっくり羽を伸ばしている。

 それはいつもの時間に目が覚めたオレも同じで、当番の兵士の朝練に混ざって体を起こし、そのあとは談話室でゆっくり読書を満喫していた。

 変な話、それまでは勉強してもっといろんなことを知らないといけないとどこか脅迫概念のように思っていた節があったんだけど、あの地獄を知った今は知識を吸収できるこの時間がとても楽しく思える。

 そんな時間に呼び出されて、少し不満に思っていたんだけど、久しぶりに穏やかな気持ちで会ったトロデが提案したことはいつもの悪戯とは程遠い、お茶のお誘い。

 どうしたんだろう。珍しい。それがオレの素直な感想だ。


 丁寧に整えられた庭園は、相変わらずさんさんと降り注ぐ太陽の下輝いている。

 丸いフォルムに整えられた植木の道を通ってしばらくトロデと談笑しながら歩いた先にあったのは、石造りのテラス。狭いわけではないけれど、庭園の広さから言うと小さく見えてしまうが、素人が見ても分かる細かな彫刻がなされた柱。いくつかの柱に支えられた屋根の下には、やはり石造りの丸テーブルと丸椅子。

 テーブルの上には焼き菓子の準備がされていて、オレがトロデに連れられてそこに着くタイミングを計ったかのように、お茶道具の乗ったワゴンが運ばれてきた。

 暖かな太陽の注ぐテラス。少し芝生が広がったその周りには観賞用と思われる色とりどりの花が咲き乱れ、穏やかな時間を象徴するかのように、小さいながらも鮮やかな模様の蝶がひらひらと飛びかっている。



 なんだか場違いな場所に来てしまったように思えて、オレはその場所に立ち尽くした。わずか一週間前のオレなら、何も思わずトロデにひかれて丸椅子に座っただろう。

 だけど、今のオレにとってはトロデと過ごしていた日々が遠い昔のことに思えて、そうすることができない。

 一週間だ。たった一週間しか経っていないのに。



、ほら早く座れ」

「あ、はイ」

 促されて、オレは重い足を動かした。重いと思った足は、トロデの、オレがそこに座ることを当然と思っているような態度に軽くなった。

 促され座ったお茶の席にはオレとトロデしかいない。そばにはメイドが控えている。

 しばらくは焼き菓子やお茶の葉の特徴や名産地について、トロデがいろいろ話してくれて、オレはそれに相槌を打つだけだった。

 硬くなっていた体は、暖かさとゆるやかで気持ちのいい風と和やかなその場の雰囲気にほぐされた。

 会話がとぎれ、無言の時間が流れても、それは居心地のいい静けさだ。



、兵士の生活はどうだ? 何か困ったことや足りないものはないか? 遠慮なく言ってくれていいぞ」

 さらりと会話の中にそんな話題を入れられて、一瞬ののち思考が止まった。

「……え」

「ルカはスパルタだからな。優しさが足りないんじゃないか? スパルタすぎて困る! でもいいぞ。何か言いたいことはないか?」

「言いタイこと……」

 軽い口調に少し頬がゆるんだ。

 言いたいことと言われて、いくつもルカさんに対する文句が思い浮かんだ。

 無表情が怖すぎる。睨まないでくれ怖すぎる。鍛錬も怖すぎる。なんで素手なのに切り傷が生まれるんだ。受身を取れなかったときはそれこそ地面に落とされるたび内臓に重い衝撃がかかって痛みで動けなかった。攻撃がどれも重すぎて気絶するほど痛すぎる。どうして素人相手に手加減してくれないんだ。明らかに他のやつより厳しいのはどうしてだ。毎日悪夢を見るほどこっちは魘されているんだ。手加減してくれ。周りも見てないで止めてくれ。ぼろぼろになっても回復魔法をかけてまた鍛錬とか辛すぎる。少しは休ませてくれ。傷は魔法で治るかもしれないが筋肉痛は治らないんだ。今は少しだけマシだけどどうせ治すなら筋肉痛もどうにかしてくれ。本当に優しさが足りない。鞭ばかりでなく飴もくれ。つらいつらいつらい。



 ――いっそ、逃げ出したい。





 オレは固まりそうになった頬を再び緩めた。なるべく明るい声を努めて頭を下げる。

「……ありがとウゴざいますトロデ。気持ちハ嬉しいケど、特に困ったコトはないカラ大丈夫です」

 その返答に、トロデは一瞬目を見開いて、訝しげに眉を寄せた。

「……何でもいいのだぞ?」

「そう言わレテも……うーン、じゃあコの焼キ菓子をまた食べたいデス。混ざっている木の実が美味しイ」

 トロデのその気持ちは本当に嬉しい。気に掛けてくれることがとても嬉しい。

 本当は、本当は逃げ出したいほど嫌だ。だけど、それを口にすることができない。

 言えたら楽だろう。だけど、口にしてしまえばトロデはどうにかしてくれようとするはずだ。どうにかする権力がトロデにはある。

 だけど地獄の鍛錬より、そっちのほうが嫌なんだ。

 今まで散々世話になって、恩返ししたいと自分から申し出て、その過程が辛いからと恩返しの相手にすがって投げ出すなんて嫌なんだ。

 トロデは納得がいかないのか、オレが指し示した焼き菓子をじっと睨みながら無言だった。

「本当に、それだけか?」

「はイ」

「本当の本当に?」

「はい。またトロデとこンな風に心安らグお茶会がでキルなら、それダケで十分デす」

 この時間を用意してもらえたことが本当に嬉しかった。それが伝わればと心を込めて言う。



「……分かった」

 トロデはようやくそう頷いた。それにほっと息を吐く。

「お前の望みどおり、毎週ここでお茶会を開くぞ!! は強制参加だ! 分かったな!」

 効果音でもつきそうなほど思いっきり指差されて宣言された。トロデの後ろでメイドの一人が「指差しもテーブルに足を乗せるのもはしたないですよ殿下」と注意しているがお構いなしだ。

 毎週とは言ってない。と思わず突っ込みそうになったけど踏みとどまった。

 焼き菓子だけでも、と思っていたオレにとって、トロデのその宣言は予想以上に嬉しいものだったからだ。

 頭を下げて何度もお礼を言って、そんなことをしているうちに昼食の時間になったのか、昼食までこのテラスに運ばれてきた。

 トロデには毒見係がいる。

 また、トロデとオレの料理は量と種類が違っていて、だけど共通している食べ物もある。

 マナーのため会話は極端に減るが、気の置けない相手と食事をするのは楽しいものだ。



 トロデとの付き合いが長くなるにつれ、オレはちょっとした望みを持つようになった。

 まあありえないんだけど、トロデと友人になれたらということだ。うん、ありえない。

 そんなことになったらきっと大臣の人やら上層部が黙っちゃいないと思うんだよな。客人という扱いでさえこれだ。友人なんて以ての外だ、きっと。

 そもそも王子殿下相手にそんな大それた望みを持つことこそ失礼だと思う。

 でも望むことくらいは構わないよな? 

 トロデはこの世界に来て初めて知り合った人で、無償でオレを保護してくれて、生きるために必要な多くのことを与えてくれた恩人だ。そして異世界から来たということを受け入れてくれ、そんな秘密を共有している相手だ。

 そんなトロデにふさわしい相手になりたい、恥をかかせたくないと思って兵士になったけれど、もっと言うならオレは、トロデと対等になりたいと思っている。対等な友人になりたい、と。

 おこがましいかもしれないけれど、夢はでかいほうがいいだろう?

 今はまだ、オレの独りよがりだから端から見ても友人ごっこ程度にしか見えないかもしれないけど、それがオレの目標だ!



 ……対等というと、オレが昇ることが出来る範囲だと兵士団長か……。

 何年かかるだろうか。まだまだ先は長いな。










◆◇◆◇◆◇◆◇












 宿舎のある一室で二人の男が杓を交わしていた。

 一人はこの第二兵隊のリーダー、兵士長ことアラン。

 もう一人は、地位はアランより劣るが能力・経験・勤務年数において第二隊で抜きん出た人物、ルカだ。

 いつもなら恐縮しながらもここにいるはずのもう一人は、今夜はいない。

 新たに同チームになったトロデ王子殿下の『御友人』である新人兵が心配だからと、珍しくも誘いを断ったからだ。

 誘いを断るときの彼――ノットの目は、言外にルカを責めていた。やりすぎではないか、と。

 しかし、それは仕方がないことだ。

「あいつの魔力がとんでもないせいだからな」

 魔力を肌で感じることができるようになったのはいつの頃か。

 ルカは杯を手に昔を振り返る。

 いくつかの呪語が連なる呪文を唱えて発現する魔法は、最初の呪語の段階で魔力の方向性が決まる。それを感じ取れることは、闘う日々に身を置く者にとってとてつもないほどの恩恵だ。

のことですか」

 アランがそっと囁いた。

「ああ、あれは究極の欠陥品だ」

「究極……ひどい言い方ですね」

「しかし事実だ」

「ええ、まあ」

 欠陥品とは、魔力を上手くコントロールできない者のことを言う。

 しかしはそれの比ではない。

 なぜなら彼は日常生活にも影響を及ぼしているのだから。

「赤子は母親の腹にいるうちに魔力の扱い方を覚えるという。しかしは赤子以上に未熟だ。周りに魔力があることに全く慣れていない」

 その状態は例えていうなら方位磁石のあらゆる方向から磁石を当てられているような状態だ。磁石に翻弄されて正しい方向を指し示すことができずにいることになる。

「よく迷子になるという報告を受けています」

「最初の頃は、常に誰もいないところに攻撃して背中を見せることが多々あったな」

「……今は鍛錬においては直ってきていますね」

「ああ、徹底して叩き込んでいるからな」

 何を、とはアランは聞かない。知っているからだ。

 に叩き込まれているのは『殺意』。

「あまりにあなたの鍛錬が厳しいものですから、王子殿下から苦情が来ていますよ」

「『命令』か?」

「いえ、ただの苦情ですが」

「ならば気にするな。これはにどうしても必要なことだ」

 魔力のせいで正しい方向を向けないということは、兵士という立場においてあまりにも致命的すぎる欠点だ。戦場に出れば間違いなく命を落とすだろう。

 だからそこに殺意を覚えさせた。

 でたらめな方位磁石に『殺意』という名の強力な磁石を向ければ、方位磁石は間違いなくそちらを向く。そうさせたのだ。

 魔物は例外を除いて人に殺意を抱いている。これで魔物には狩られまい。

 人も人を殺すとき、多くは殺意を抱く。これで人にも狩られまい。





 国を、王を、友を守りたいと望むなら、狩らせるわけにはいかないのだ。





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月時計
モデルは某月の世界に回っているあれです。
ミニバージョンがこっそり人の暮らしの中に溶け込んでいたらいいなと思いまして。
時間の呼び名は満ち欠け的にちょっと無理やりっぽいですが、そこは大目に見てください。
月の呼び名に偏りがあるせいです。orz

2011/02/11